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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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1202磯天神菅原神社(鹿児島市)

2016.02.23 16:59|鹿児島県
【祭神】菅原道真朝臣
【由緒】貞享三年(1686年)、島津光久公(1616-1695)の思召により、綱座天神の御神体が作られ、同年丙寅八月二十五日、御勧請の祭礼を行った。綱場の天神とは筑前国博多に在り、醍醐天皇の延喜元年、道真公が藤原時平の讒により大宰権帥に赴かれた時、此所に休息なされた。御座がなかったので、船の綱をわに敷いて、其上に暫く休まれた。此時一夜の内に白髪に成られた云う(鹿児島県神社庁より)。綱場の天神とは71綱敷天満宮のことであろうか。
【鎮座地】鹿児島市 吉野町磯9678
【拝路】堅馬場入口でバスを下車。ちょっと距離はあるが歩いてゆくことにした。町中から後半は右手に桜島を見ながら約30ほど。左手に鳥居が見えてきた
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踊り場に手水舎
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右に石段を登って社殿前
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横から
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紋章をモチーフにした石灯籠
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神紋が数か所あるがこの豊後梅鉢紋である。
左手隅に撫牛
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前から
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絵馬
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イケメンの道真公である
帰りは異人館
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脇のバス停から
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1201川上天満宮(川上町・鹿児島市)

2016.02.23 15:43|鹿児島県
【祭神】菅原道真公・北御方吉祥女
【由緒】創建年代は不詳であるが、約六百年前島津五代貞久公(1269-1363)が、京都北野天神の分霊を薩摩国川上村に勧請し、崇敬の念深く、爾来歴代の当主も尊崇した。特に十八代中納言家久公は尊敬の念極めて篤く、日参参籠されたこともあり、殊に年頭には、三社詣として、一之宮大明神、二之宮宇治瀬、三之宮川上天満宮を参拝し、代々の崇敬最も厚かった。(鹿児島県神社庁より)
【鎮座地】鹿児島市 川上町834
【拝路】天文館のバス停よりバスで川上郷へ。緑ケ岡団地入口下車。数分で神社前
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社殿前
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横から
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紋章
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ベースは梅花紋であろう
社殿前から
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1200千石天神社(鹿児島市)

2016.02.23 14:51|鹿児島県
【祭神】菅原道真
【由緒】「天神馬場通りの名称の起源であり島津藩政時代からこの通りにあって正徳三年(1713年)四月の鹿城の大火により焼失した萩原天神を昭和十三年(1938年)四月現在地に復興。神霊は京都北野天満宮より分霊。」(境内の案内の抜粋)
【鎮座地】鹿児島市 東千石町8-28
【拝路】鹿児島と云えば天文館で、半世紀以上も前の一時期、この地に在宅していた記憶があるが、詳細はすでに忘却の彼方である。町を走る市電がもの珍しく、人通りも多い。私用を終わらせ、街を散策していたら本社を見つけた。最初は稲荷社かと思ったが近寄ってみると天神社とある。
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横から
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手水に梅鉢紋のレリーフ
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さい銭箱にも梅鉢紋が見られた

1199小島神社(小島・屋久島)

2016.02.22 16:36|鹿児島県
【祭神】大山祇命・菅原道眞公
【由緒】往古より現在迄鎮座地を神山と通称する。応仁の末頃一時社殿荒廃し、いつしか縁起・記録を失った。御祭神二柱の他に配し祀る神々ありというが、神名は不詳である(鹿児島県神社庁より)。
【鎮座地】鹿児島県 熊毛郡 屋久島町小島字小島395
【拝路】小島は島の南の集落。神社はその東側の入り口に鎮座。県道脇にある
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弔事の来島なので境内に入ることは控えた。

1198屋久島大社(楠川・屋久島)

2016.02.22 08:11|鹿児島県
【祭神】伊邪那岐命・伊邪那美命・天照皇大神・天満大神
【由緒】「当大社は石塚岳頂に二柱の巨石を磐座として岐美二尊を御奉祀いたしております。この男女二神は記紀神話に現れ万物生成の神として霊妙なるお力が尊崇されてまいりました。国生みの御祖神のご神徳を仰ぎ奉らんとこの楠川の地に社殿を造営し昭和五十二年八月十八日に創祀されました」(頂いた案内誌より)
【鎮座地】鹿児島県 熊毛郡 屋久島町楠川591-1
【拝路】島を案内してくれた親戚の者がここに道真公が祀られているようだ、と教えてくれた。弔事で来島したので、宮之浦の宿から、朝早く一人で参拝に向かう。県道脇に薬の看板、恵命我神散、とある
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聞いたことないなぁ、などと思いながら通り過ぎたのだが、帰りには全く見方が変わってしまった。
鳥居前。
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弔事の来島なので、鳥居をくぐらずに坂を登る
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社務所の人に、道真公は何処に祀られているかを聞くと、社殿の左手に祀られていると言う。
左から
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紋章
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この形は剣梅鉢紋に近い
芯の「恵」について社務所の御婦人に聞くと。思ってもみない話であった。
この神社は恵命堂の創始者である柴昌範によって創立された。柴は信心深く、天満宮を崇敬していた。神の啓示を受け恵命我神散を商品化した。昭和初期の頃である。紆余曲折があったようだが、現在まで続いている。神社のすぐ隣に工場がある。
資料はありませんかと聞くと、書籍「屋久島聖 柴昌範」を頂いた。
八月には太宰府天満宮から神官を招いて例祭を行うとのことであった。

1197楠川天満宮(楠川・屋久島)

2016.02.21 11:29|鹿児島県
【祭神】菅原道真
【由緒】『楠川天満宮古文書』によれば享保十五年(1730年)の正月、天神宮の鳥居を造立してお神酒をささげた直会の時燗酒の鍋に銀貨が降り下った慶事があったと記されている。また元文五年(1740年)天神様の木像が流れ着いた、云々などが書き留められてられている・・・(境内の案内から抜粋)
「元文五年十七日村人姓不詳次郎植右衛門の母某が、海浜永瀬と称する所において御神体を拾い上げた。時の村吏が直ちに宮之浦奉行所に申し出たところ、すぐに取立てられ天満宮の神儀と定められたので、村人相議り鎮守の神と崇め奉り、社を字後町アコウの木下に建設してお鎮めした。が、如何なることか種々怪奇なことがおこり、これは神の祟りとして今の地に遷座したものである。宝暦十三年二月に拝殿を建立した(三国名勝図絵)。古くは菅原神社と称した。」
【鎮座地】鹿児島県 熊毛郡 屋久島町楠川仲町82
【拝路】弔事で屋久島に行くことになった。鹿児島から屋久島に行くには飛行機、フェリー、高速船とあるようだが、高速船が一般的のようだ。
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揺れもほとんどなく、二時間ちょっとで宮之浦港に着いた
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宮之浦川の中流
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二月と云うのに水量もかなりある。水清し。
宮之浦の町
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左手が高速船乗り場。右手の桟橋は大型船、最近では日本丸が接岸したそうだ。その右手が楠川方面
楠川まで案内して頂いた。神社は港のすぐそばに鎮座
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拝殿前
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横から
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鳥居の紋章
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微妙であるが、梅鉢紋の部類であろう