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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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1234千代崎天神(千代崎・西区)

2016.03.09 16:02|大阪府大阪市中央
【祭神】菅原道真公
【由緒】明治四年(1871年)戎島(現在の西区本田梅本町)にあった大阪天満宮御旅所は、諸事情により、松島花園町(現在地)に遷された。その時より本社は、大阪天満宮の氏地となり、菅原道真公を氏神と祀るようになる。
【鎮座地】大阪市 西区千代崎2丁目
【拝路】ドーム前千代崎駅下車。駅から数分、角地に鎮座
1234CIMG7889.jpg
結局一日雨に降られてしまった。
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1173五幸稲荷社(森之宮神社境内 森之宮・中央区)

2016.01.21 14:33|大阪府大阪市中央
【祭神】宇賀御魂命・猿田彦命・大己貴命・烏丸明神・熊鷹大明神・天神・八幡大明神・手置帆負命・彦狭知命・布留魂命
【由緒】平成に天神等を合祀
【鎮座地】大阪市 中央区森之宮中央一丁目14-4 鵲森宮(森之宮神社)の摂社
【拝路】JR森ノ宮駅の西側。道路沿いにある
1173CIMG7431.jpg
正面の社
1173CIMG7433.jpg
天神の祭神が道真公かどうか不明。

897おちつき天神(天然寺内 城南寺町・大阪市)

2015.04.23 17:06|大阪府大阪市中央
【祭神】菅原道真公
【縁起】「汐待山天然寺は後陽成天皇の天正十六年四月八日天然上人の開基で時恰も豊臣秀吉大阪城築城の天正十一年の後に当たり城の南堀の外の高台に寺地を給せられ此処に堂宇を興し浄土宗法然上人念仏の道場として永く法燈を伝えて来た。天然寺境内地は潮待天満宮と関係深く豊臣氏の時代に地子免除の特典を受けていたここは古くより天神の叢祠があり潮待天満宮と申していた。伝うるところ延喜元年(901)右大臣菅原道真公が筑紫の大宰府に流され給う時浪速津にて乗船の潮時をこの地で待ち給ひその間御自作の木像を作られ里人その跡を慕いて小社を営み菅公御自作の像を祭ったと伝えられる。社殿は大阪築城の時城内にありしか豊臣秀吉これを城の外に遷し祭りましたこれすなわち今の地である。天然寺はもと正覚院とも云い潮待天満宮と共に浪速の一古跡として有名で諸書にも載せられ摂津名所図会大成に世俗おちつき寺と云うとあり右大臣菅原道真公が潮待ちの為におちつかれたのでおちつき天神と云う又この辺を塩待町と号するは即ち潮待の由縁なり。天然寺おちつき天神共に昭和二十年六月一日の大阪空襲により一屋余すところなく灰燼ととなりしか今慈に神仏の加護並びに十万檀那の恵福により再建成就した。菅丞相が西辺に黜居せられし蹟に鑑み至心と合掌とを餝とし以てこれを萬劫の時に貽さんとする。敬白  潮待山第二十二世実譽 昭和五十三年一月」(境内の案内)
【鎮座地】大阪市天王寺区城南寺町 天然寺内
【拝路】地下鉄谷町六丁目下車。寺院には門限がある所があるので道を急ぐ。・・・。
門は開いていた。
897CIMG5339.jpg
門を入ってすぐ右手であった。
897CIMG5335.jpg

896東宮(御霊神社内 淡路町4・大阪市)

2015.04.23 13:16|大阪府大阪市中央
【祭神】加藤社・菅原社・住吉社・龍神社・大雷社・水神社・五福恵美寿神社・皇大神宮・猿田彦神社・多賀社・春日社・事平社・稲荷社・竃戸社・戸隠社
【由緒】明治二十一年堂島中二丁目の志留辨神社(宇賀御魂神・天棚機姫神・菅原道真。もと西区立売堀南5丁目にあり、文化2年の勧請)を合祀。
【サイト】御霊神社
【鎮座地】大阪市中央区淡路町4-4-3 御霊神社内
【拝路】895難波神社から御堂筋を北上する。広い御堂筋を右手に見て、全ての車が南に疾走する様は驚きである。歩道にベンチが用意されて休み休み北に向かう。
途中から左に入ると神社が見えてきた。
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この鳥居の扁額は「両部額」と言う扁額で珍しいとのことである。
境内右手が東宮になるようだ。
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895十四柱相殿神社(難波神社内 博労町4・大阪市)

2015.04.23 12:47|大阪府大阪市中央
【祭神】徳川家康公・楠 正成公・菅原道真公・豊臣秀吉公・應神天皇・天照皇大神・豊受姫大神・迦具土大神・猿田彦大神・春日四柱大神・水波能女大神
【サイト】難波神社
【鎮座地】大阪市中央区博労町4-1-3 難波神社内
【拝路】894坐摩神社より徒歩で約6分。難波神社の西側より。
895CIMG5327.jpg
目指す神社は境内東南隅に鎮座
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左側の祠に祀られているようだ。
895CIMG5329.jpg
南側が主参道のようである。
895CIMG5330.jpg
都会の真ん中にあるせいだろう、参拝者が多い。ただ、こちらの境内社に参る人はいない。


894天満神社(坐摩神社内 久太郎町4・大阪市)

2015.04.23 12:37|大阪府大阪市中央
【祭神】菅原道真 と思われる
【鎮座地】大阪市中央区久太郎町4-3 坐摩神社内
【拝路】地下鉄中央線本町駅を下車し、ナビの指示に従って進む。坐摩神社の鳥居前に来たが、こちらは西門で、
894CIMG5321.jpg
正門は東側のようである。
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境内右手に境内社を祀っている。
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天満神社はその右手に鎮座している。
894CIMG5323.jpg

771天満宮(生田魂神社内・天王寺区)

2015.01.29 13:05|大阪府大阪市中央
【祭神】菅原道真公
【鎮座地】大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9。生国魂=いくくにたま。
【拝路】770汐待天満宮から徒歩数分である。
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天満宮は境内の右手に鎮座。
771CIMG4463.jpg
いくたま天満宮とも呼ばれているようだ。紋章は星梅鉢である。
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右方向から
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770汐待天神社(法泉寺内・天王寺区)

2015.01.29 12:55|大阪府大阪市中央
【祭神】菅原道真
【由緒】法泉寺境内鎮座天満宮は大阪天満宮二十五拝所の一として其沿革は菅原道真公御左遷の途河内国土師里道明寺の伯母君覚寿尼公御決別の後浪速の地福島の津(現福島区福島天神社)より御乗船の為当地域御通行の途次少憩せられたが時恰も海上風波荒く乗船すること能わず漸時滞留せられたる旧址なるを以て後小社を建立して「風待ちの天神又は汐待の天神」と称せられしかば後世転化して当社近傍に汐町の(汐待ち)地名が創られしとの伝説あり(境内の案内より)
【鎮座地】大阪市天王寺区生玉寺町 法泉寺内
【拝路】谷町筋を西に入る。車も人もほとんどなくなる。お寺はすぐに見つかった。小さな鳥居と社が左手に。
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769天満宮(五條宮内・天王寺区)

2015.01.29 12:30|大阪府大阪市中央
【祭神】菅原道真
【鎮座地】大阪市天王寺区真法院町24-9。五条宮七神合堂内。
【拝路】一心寺前の喫茶店で昼飯代わりの善哉を御馳走になって一休み。
・・・。
再び北の方へ。四天王寺の境内に入り、「極楽浄土の庭」
769CIMG4451.jpg
を拝観。
五條宮前の交差点を渡り社頭へ。
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(七神合堂は境内の右手で、天満宮はその中に鎮座しているようだが、今回は見逃してしまった)
また機会を作ってお参りしよう。

768安井神社(逢坂・天王寺区)

2015.01.29 11:20|大阪府大阪市中央
【祭神】少彦名神・菅原道真公
【由緒】「少彦名神を奉祀したのは、古文書が散逸したので、現在は詳かではないが非常に古い時代の事であると伝えられている。この神は、医療禁厭(医術・漢方・まじない)知恵の祖神として、その霊験はまことにあらたかな神である。菅原道真公の奉祀は、公筑紫へ左遷される途中海上浪荒く暫くこの地に立ち寄って憩われた旧跡である所以を畏み、後四十年を経た天慶五年(942)此地にその御神霊をお祀りしたと伝えられている。菅公の御進徳は誠の権化であり、又学問文化の神として、人々を守護し導き給うのである。当神社の御進徳を厚く蒙った人々は昔から多く、中にも大丸の業祖下村彦左衛門氏は大きな御加護を頂いて繁栄されたことは有名である」(境内の案内より)
【鎮座地】大阪府大阪市天王寺区逢阪1-3-24


新今宮下車。しばらく歩いて、ビリケンさんの通り。
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新世界の界隈のようだ。たこ焼きを頂いて
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周辺を歩いて行ったので、通天閣に気づかなかった。
右手、動物園、高速の高架下を通って、鳥居前へ。
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二の鳥居
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階段を上って境内へ。
撫牛が一体
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前から
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真田幸村像と社殿。
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真田幸村は当社の近くで戦死したと言われている。

「徳川家康を仕とめ得なかった真田左衛門佐幸村は、毛利勝永と同様に、
(この上は、大阪城内へ入り、秀頼公と共に果てよう)
こころを決め、安居天神西側の崖下まで引き上げて来た。
左衛門佐幸村はただ一騎であった。
幸村も、愛馬の月影も身に数創を背負っている。
・・・・略
幸村は月影の遺体へ合掌し、槍を杖にして立ちあがった。
そして・・・・・・。
田圃道からつづいている崖道をのぼり、安居天神の境内に入って行った。
深い木立と竹藪に囲まれた、安居天神の細長い境内には戦士の死体も見当たらなかった。
幸村は、小さな社殿の前にぬかずき、抱角の兜をぬぎ、両手を合わせて頭をたれた。
安居天神の境内で自決することにしたのだ。
・・・・略
・・・・幸村の躰が、ゆっくりと仰向けに夏草の中へ倒れた。
息絶えたのである。
左衛門佐幸村の、四十九年の生涯は、ここに終熄した。」

池波正太郎 真田太平記十五落城 昭和五十八年 より
皮肉なことに、このすぐ南の一心寺は、大坂冬の陣の徳川家康の本営であったという。