569穴澤天神社(矢野口・稲城市)
2014.07.16 13:50|東京都多摩南部|
【祭神】正殿:少彦名命(正面) 相殿:菅原道真公(右)・大己貴命(左)
【由緒】考安天皇四年(前423)の創建にして、主祭神は少彦名命を御祀りした社でこの命は人民に医療法や造酒の術を授けられ、特に薬の神から健康増進の神として、また国土経営に偉功を遺された著名な御方であります。天正十八年(1590)に社殿を再建し元禄七年(1694)社殿の造営が行われ、その時菅原道真公を合祀され、公は古くより文学の神として親しまれ、広く仰ぎ祀られております。大正七年(1918)国安神社大己貴命(大国主命)を合祀、縁結、開運の神として以後崇敬されており、境内下三澤川右岸沿いに、横穴厳窟がありましたが、昔の厳窟は崩れ、現在の洞穴は二度目ですがこれがすなわち穴澤の起源であります。この洞窟内には元石仏の安置後も残っており、明治四年神仏分離の際、石仏像は当時別当職であった威光寺に移さられました。延喜式内神明帳所蔵載(延喜五年、905年撰上)に記されている古社で多摩八社の内一社であり、明治六年郷社に列せられました(境内の案内)
【鎮座地】稲城市矢野口3292
【行程】京王相模原線京王よみうりランド駅下車。西からの参道から、車道の参道にあたるようである。階段の参道もあるようだ。

駅からゆっくり歩いて10分ほどで社殿に。

紋章は梅鉢紋と巴紋の併用。

このような神紋は132小野照崎神社でも見られた。
帰りは東側の階段を下る。がけ下に湧水。ご婦人によれば、生け花が長持ちするという。

中央の参道に鳥居がある。

より大きな地図で 天満宮散策 を表示
【由緒】考安天皇四年(前423)の創建にして、主祭神は少彦名命を御祀りした社でこの命は人民に医療法や造酒の術を授けられ、特に薬の神から健康増進の神として、また国土経営に偉功を遺された著名な御方であります。天正十八年(1590)に社殿を再建し元禄七年(1694)社殿の造営が行われ、その時菅原道真公を合祀され、公は古くより文学の神として親しまれ、広く仰ぎ祀られております。大正七年(1918)国安神社大己貴命(大国主命)を合祀、縁結、開運の神として以後崇敬されており、境内下三澤川右岸沿いに、横穴厳窟がありましたが、昔の厳窟は崩れ、現在の洞穴は二度目ですがこれがすなわち穴澤の起源であります。この洞窟内には元石仏の安置後も残っており、明治四年神仏分離の際、石仏像は当時別当職であった威光寺に移さられました。延喜式内神明帳所蔵載(延喜五年、905年撰上)に記されている古社で多摩八社の内一社であり、明治六年郷社に列せられました(境内の案内)
【鎮座地】稲城市矢野口3292
【行程】京王相模原線京王よみうりランド駅下車。西からの参道から、車道の参道にあたるようである。階段の参道もあるようだ。

駅からゆっくり歩いて10分ほどで社殿に。

紋章は梅鉢紋と巴紋の併用。

このような神紋は132小野照崎神社でも見られた。
帰りは東側の階段を下る。がけ下に湧水。ご婦人によれば、生け花が長持ちするという。

中央の参道に鳥居がある。

より大きな地図で 天満宮散策 を表示
スポンサーサイト