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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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649蔵富天神(蔵富・津久見市)

2014.10.10 09:50|大分県津久見市(北部)
【祭神】菅原道真
【由緒】寺社考に「蔵富天神」の記載がある。従って、1741年には成立していたことになる。
【鎮座地】津久見市上青江蔵富。蔵富集落の北西100mの沢の合流付近。
【行程】この小さな集落に来るのは三度目だ。今日は地元の人に尋ねてみるつもりだ。そうはいってもなかなか人に出会う機会は少ない。太子堂と書かれた小さなお堂の前のお宅の庭に人影、を確認し、さらに上へ進む。左側の畑に御婦人が草取りしているようだ。声をかけるが、聞こえないようで、振り向いてくれない。しかたないので、先ほどの人影を求めて太子堂前へ。
こんにちは、と声をかけると振り向いてくれた。
この地区の天神様を探しているんですが、と尋ねると、仕事の手を休めて、10m程北側の集落の外れまで案内してくれて道順を説明してくれる。
どうも、天神様は北側の沢の中腹にあるらしい。一年に一回掃除を行っているようだが、道が通れるかどうか。
「ここ何年私もお参りしていないし、私のうちの畑もあるので、私も行ってみますわ」、そういって、引き換えし、カマを手に、長靴に履き替えている。その姿から、参道は相当難所らしい。
集落の北側から細い道を下る。左手に湧水をためた小さな池がある。「この水があるからこの集落があるんですよ」
649CIMG3453.jpg
今は、使うことは禁じられているようだ。
この水場が水源の沢を下る。足元は悪く、草木が道をふさいでいる。カマが必要なわけだ。
649CIMG3454.jpg
それでも10分ほどで社殿前へ。
649CIMG3455.jpg
ここは西側からの沢水と東側からの合流地点にあたるようだ。
ご婦人によると、夏場はこの沢で水遊びを楽しんだ、と述べている。
施錠を外していただいて、中へ。衣冠束帯の像が安置されている。鮮やかな星梅鉢紋が見て取れた。
Kさん、ありがとうございました。
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323天神社(鬼丸・津久見市)

2013.04.27 12:40|大分県津久見市(北部)
【祭神】菅原道真 と思われる
【その他】社名は仮の名前である。
【行程】国道から山手に進む狭い道に入る。人がすれ違うのがやっと位である。右左とクランクに進むと右手に鳥居が見えてきた。
323CIMG0333.jpg
境内の雰囲気や構造は本社の北にある250川内天満宮によく似ている。境内の右手石碑の足元に梅鉢紋の鬼瓦を立てかけている。まるでここは天神社ですよ、と言いたげである。
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拝殿の右手に梅の木、社殿にも梅鉢紋が見られる。
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【キーワード】一対の梅鉢紋の鬼瓦、川内天満宮

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322菅原神社(釜戸・津久見市)

2013.04.27 11:45|大分県津久見市(北部)
【祭神】菅原道真 と思われる
【由緒】社名については、鳥居の扁額にある「菅原神社」とした。別名、釜戸神社、で呼ばれている可能性もある。創建は宝暦三年(1753)か
【行程】国道は海に沿って走っているが、釜戸の入り江を過ぎる頃、左折して旧道に入る。この辺りは人家もなく、右手のウバメの林が迫っていて、こんな所に神社があるのかと思う。数分走ると右手に空き地と林に向かう小道がある。
322CIMG0332.jpg
ほかに道らしい道もないので、ここを進む。次のカーブを曲がると、階段らしきものが見え、鳥居も見えてきました。扁額には菅原神社とありました。
322CIMG0322.jpg
境内は狭く、おそらくブロック造りの拝殿とその後ろに木造の社殿があります。
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社殿の鬼瓦には梅鉢紋が彫られている。
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【キーワード】釜戸、ウバメ林、手水鉢の「水」

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252川上神社(小園町・津久見市)

2013.01.06 12:40|大分県津久見市(北部)
【祭神】菅原道真
【由緒】当社はもと胡麻柄山麓の字御手洗に鎮座し、小園天神と称した。この字名は山麓に湧出の清水による呼称で、近接の男郎淵・女郎淵は周辺田地の水源であったから、古来より当社への崇敬はことに厚かった。明治6年村社に列し、同11年村内各所の神々を合祀し、社名を川上神社と改め、同18年6月神殿を改築。昭和14年、社殿後方の石灰山の採石爆破作業の開始により現在地に移転。終戦後、合祀した諸神は旧地に遷祀された。
【例祭日】11月25日
【紋章】梅鉢(瓦)
【行程】込み入った場所にあるのでちょっと手間取った。後で考えると、青江神社の、青江川をはさんだ、右前方の丘の上にあるわけで、ここを目指せば造作なかったはずである。社殿は丘の上にあるようだ。252_4981.jpg
階段を上り、鳥居の先に拝殿がある。
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境内は結構広く、社殿が裏にある。瓦に紋章が刻んである。
252_4985.jpg
境内からは津久見市の北部を見渡すことができる。視界を真横に遮る東九州自動車道(現在佐伯まで開通している)。その先にセメント工場の煙突。
252_4988.jpg


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251道尾天神社(上青江神社内 津久見市)

2013.01.06 12:10|大分県津久見市(北部)
【祭神】菅原道真 と思われる
【由緒】明治11年に村内各所の神々を合併(17)とあるので、この時に末社として祀られた可能性がある。上青江神社の元は稲荷社である。「道尾」とは、この地域の所領に関する臼杵藩と佐伯藩の争い(1641~1747年)に関して、本社を勧請した青江道尾組大庄屋矢代仲野作左衛門の道尾に依ると思われる。
【行程】青江川左岸の高台にある。上青江神社の社殿の左に小さな鳥居があり、その先にある。
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小さいがしっかりした社殿である。後方から。
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250川内天満宮(下川内・津久見市)

2013.01.06 11:30|大分県津久見市(北部)
【祭神】菅原道真 と思われる
【例祭日】天満宮祭が催され、獅子舞が披露されるようだ
【行程】青江川の上流を目指す。グーグルの地図では本社が示されている。当初別の地図に示されている、五岳堂の手前の天満宮を目指したが見つからない。五岳堂右手の家主さんに聞いても、この辺に天神様はないと言う。余談ではあるが、この青江川の左岸あたりは、数年前大きな水害にあい、ここの家も数メーター山際に移転を余儀なくされたという。そのためか、山間にありながら、このあたりの歩道の幅がやけに広い。

この天神様は青江川の右岸、セメント工場の大きな建物の手前を左に入ってすぐの所にある。後ろに工場が見える。
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拝殿は集会場になっているようである。獅子舞などの写真が飾られている。社殿は右手に回って裏にある。
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賽銭箱の梅鉢紋
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249平岩の菅神社(津久見市)

2013.01.06 10:45|大分県津久見市(北部)
【祭神】菅原道真 と思われる
【由緒】社殿の後ろは道路になっているが、昔は神社の森であったという。
【例祭日】11月中旬の土日。徳浦の霜月祭に合わせて行うらしい。火を焚き、獅子舞がでる。
【行程】津久見インターから徳浦方面へ向かう道の左手に境内が見える。この道からも入れるが、参道は北から南に伸びている。右手に楠2本、社殿の裏に椎?と思われる古木がある。
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境内に入ると、年配の人が薪の後片付けをしているようだ。聞くと昨年の例祭日の残りだという。小さいがしっかりした社殿が鎮座している。
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無駄なものがありそうだが、ないのが神社。
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見落としそうであった。撫で牛が置かれてあった。津久見・佐伯地域で、初めてではないだろうか。
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大正三年と刻まれている。
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社殿には神紋が見当たらなかったが、左手の石祠に梅鉢紋が残されていました。
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248村上神社(津久見市)

2013.01.06 09:50|大分県津久見市(北部)
【祭神】加具土命(六柱)・大山祇命・菅原道真公(五柱)・本多別命(二柱)・宇気母智命・火産霊命・大物主命・保食命・磐長比売命
【由緒】通称「愛宕様」と呼ばれ、厚い崇拝をうけている。当社は、江戸時代に記された「臼杵小鑑」によると、昔、夕顔という美人がこの地に住んでいたので、その古蹟を慕って地蔵尊を建立したことにはじまるといわれていますが、いつ頃のことかはっきりとはわかっていません。またご神体は佛工「定朝」(1020年頃の人で日本彫刻史上屈指の名工。国宝の宇治平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀仏如来の作者)の作とも伝えられています。
境内に?宝篋(きょう)印塔が立っており、文安六年(1449)卯月八日と刻まれています。これは永享七年(1435)六月の姫岳合戦で討死した伊予国の武将河野通久の供養のため、その子孫が建立したもので別名「伊予塔」とも呼ばれており、現存する津久見市最古の石造文化財です。
また別の説によると、鎌倉時代に豊前・豊後の守護職として下向してきた大友家初代能直が守護神として奉じてきたのを宗麟が臼杵城の東端に祀り、さらに稲葉氏が神夢により、慶長十五年(1610)の現在の地に神殿と拝殿を造営したといいます。特に、武神ゆえに歴代藩主の崇敬は厚く、心身鍛錬のためにしばしば参詣していたといいます。今の拝殿は安政三年(1856)銘の棟札が残っていることから、江戸時代の終わり頃に造営されたことがわかります。
村上神社と呼ばれるようになったのは、明治十一年(1878)のことで、この時に葛畑、河内、兎?地区内にあった十六社を合祀しました。
【行程】国道217号の臼津トンネル手前の分岐に、本社の由緒を書いた案内板がある。国道を左折してやや狭い道を等高線沿いにやや上りながら進むと、消防団と書かれた建物の右側に鳥居が見える。
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それにしてもここの石段は、その傾斜と段数では、群を抜いている。転げ落ちそうなので、右手の舗装された小道を上る。ここからは集落の南西側が望める。
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数分で境内に着くが、上から見下ろすと、さらに足がすくむ。振り替えると拝殿がある。神額は持王宮と読むのだろうか。拝殿の意?。
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境内の後ろから社殿方向。
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しかしながら、この狭い地区に菅公が五柱もあったとは。


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202徳浦神社(徳浦・津久見市)

2012.09.11 14:45|大分県津久見市(北部)
【祭神】菅原道真・若日留売命・美津波之売命・天水分神・図水分神・加遇土命
【由緒】明治11年六柱を合併し、朝日神社(水晶山の中腹に鎮座)から徳浦神社に改称。
【神紋】梅鉢(瓦・社殿)
【行程】県道の脇、徳浦公民館の隣にあるので分りやすい。写真の左が県道で津久見の市街地方面に至る。拝殿の後ろに神殿がある。
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神域の趣はあまりないが、拝殿の前にはベンチが並べてあるので、ちょっとした憩いの場になっているのであろう。振り返ると公民館である。
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201羽迫神社(堅浦・津久見市)

2012.09.11 14:30|大分県津久見市(北部)
【祭神】菅原道真(二柱)・大地主命(二柱)・本田別命・宇気母智命
【由緒】天文元年(1532)の創立と伝わる。早期の記録には「隼鷹天神(祠)」とあるらしい。明治11年に村内各所の神々(菅公一柱のほか五柱)を合祀し今の社名とした。
【例祭日】2月15日・6月11日・9月21日・11月15日
【紋章】梅鉢(塀、手水鉢、社殿、瓦)
【行程】鳥居と社殿が県道沿いにある。入口の左右の石塀にも紋章が刻まれている。このような形式は123天神社(西の内・津久見市)でも見られた。
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境内に入るといきなり大きな梅鉢を刻んだ手水舎が目に入ってくる。
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拝殿はシンプルであるが、木造づくりで落ち着きがある。
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境内からは津久見のセメント工場が目の前になる。夜景がきれいかもしれない。

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