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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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910北野神社(山崎・鎌倉市)

2015.05.21 12:16|神奈川県三浦半島
【祭神】菅原道真・素戔嗚命
【由緒】暦応年間(1338~1342)、夢窓疎石が京都の北野天満宮を勧請したものと伝えられるが、近くには愛甲氏の菩提寺の宝積寺があったことから、宝積寺の鎮守であったとする説もある。山崎天神、あるいは江戸時代には「洲崎神社」とも呼ばれていたらしい。山崎という地名は、京都山崎の宝積寺(宝寺)にちなんでいるとされている。山崎はまた、明智光秀が羽柴秀吉と戦い敗れた天王山の戦い=山崎の戦いの地でもある。
【鎮座地】鎌倉市山崎736番
【拝路】旅ナビでは北野神社とあるだけで参拝路が示されていないので迷ったが、運よく東側を通っていると鳥居を見つけた。
910CIMG5445.jpg
社殿はこの山の上らしい。心臓に負荷をかけるがゆっくり登るとしよう。
一の鳥居先から本格的な石段になる。
910CIMG5437.jpg
踊り場があってさらに登る
910CIMG5438.jpg
右方向に曲がって、おおよそ五分ほどで社殿前
910CIMG5440.jpg
左手に手水。梅鉢紋があしらわれている。
910CIMG5444.jpg
右方向から
910CIMG5442.jpg
鬼瓦
910CIMG5443.jpg
「経の巻」の付いた本格的なものである。
それにしても、この山の上まで資材を運んでいたわけで、さらに頭の下がる思いである。
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544天満宮(諏訪大神社内 緑ヶ丘・横須賀市)

2014.05.23 12:45|神奈川県三浦半島
【祭神】菅原道真 と思われる
【鎮座地】神奈川県横須賀市緑ケ丘34諏訪大神社内
【行程】京急横須賀中央を下車し、南下山手の方に向かう。異人さんが目につく。フレームからして、まったくエイリアンだ。
本通りから、右手の細い道に入りしばらく進むとこんな案内が。
544CIMG2488.jpg
この通りはうらが道でこの先はうぐいす坂と呼ばれているらしい。後方は浦賀と結ばれているという。坂の上からはこんな景色が望める。昔は森であったという。
544CIMG2490.jpg
下りはとうとう階段になってしまった。
544CIMG2491.jpg
坂を下って左手に神社が見えてきた。
544CIMG2493.jpg
境内に登り、社殿の右手に、細長い建物がありそこに境内社が祭られているようだ。
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一番右手に天満宮が祀られている。鍵がかけられて、ガラス越しの参拝となった。
544CIMG2494.jpg


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543白髭神社(野比・横須賀市)

2014.05.23 10:25|神奈川県三浦半島
【祭神】猿田彦神 ( さだひこのかみ ) ・瓊瓊杵尊 ( ににぎのみこと )・ 菅原道真 ( すがわらみちざね )・ 経津主神 ( ふつぬしのかみ )・ 罔象女神 ( みずはのめのかみ ) ・豊斟渟尊 ( とよくむぬのみこと )・ 水速男命 ( みずはやおのみこと )・ 豊受大神 ( とようけのおおかみ )
【由来】明治41年、野比字下185無格社 天神社を本社に合祀。
「野比字下里に在り菅原道真を祭る、勧請年月不詳、寛永年間社祠破頽したるにより漁夫の尽力にて修築し・・・」。
「志も太左衛門家はその昔現在志も公園南側の山の中腹の石段を上がった所に屋敷があって、その東端に天神社はあった。しかし地引網が盛んになるにつれて不便なことが多く、海岸の現在地に屋敷を移した時に、かねて祭祀を行ってきた天神社も、自宅最前部の海の見える小高い所に移した」。・・・旧地に残した石祠は今も志も公園南端にかつての面影をそのまま残して石段と共に残っている。(白髭神社物語より)
【鎮座地】神奈川県横須賀市野比2-26-1
【行程】YRP野比駅下車。YRPとは横須賀リサーチパークの意らしい。海の方に100m程歩き、左折して住宅地に入る。ゆるいアップダウンを10分程進むと左手に見えてきた。
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境内はそう広くはないが、窮屈でもない。
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なぜかなつかしい。
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542大津諏訪神社(大津・横須賀市)

2014.05.23 09:40|神奈川県三浦半島
【祭神】建御名方命 ( たけみなかたのみこと ) ・天照大神 ( あまてらすおおみかみ )・ 白山比売命 ( しらやまひめのみこと )・ 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )・ 大己貴命 ( おおなむちのみこと )・ 菅原道真 ( すがわらみちざね )・ 三浦義村 ( みうらよしむら )・ 素戔嗚尊 ( すさのおのみこと )
【由緒】天満社を合祀。天文二年(1737)九月勧請と伝わる。
【鎮座地】神奈川県横須賀市大津町4ー19
【行程】鴨居のバス停で上り方面を待っていると、バスが来た。横須賀行らしい。浦賀で降りて電車で大津と思ったが、バスも大津方面を通りそうなので、そのまま浦賀の駅をやり過ごし、バス停大津で下車。
ここで降りる予定だった京急大津駅を右に見、踏切を渡る。大津小学校を過ぎ、旅ナビは細い住宅地の道を案内してくれる。左手に山が迫って、前方が開けてきた。参道の左手に着いたようである。改めて正面に回って鳥居を見上げる。
542CIMG2476.jpg
想像以上に大きな神社であった。
542CIMG2467.jpg
絵馬のモチーフは道真公と思われる。
542CIMG2473.jpg
紋章は梅鉢紋であろう。

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541天満社(八幡神社内 鴨居・横須賀市)

2014.05.23 08:55|神奈川県三浦半島
【祭神】菅原道真
【由緒】慶安二年(1649)、高木によれば三月、三浦郡神社由来記によれば五月と伝わる。
【鎮座地】横須賀市鴨居3ー5ー5 八幡神社内
【行程】鴨居のバス停を降りると目の前が鴨居港になる。突堤の向こうに房総半島が見える。観音崎方面に50m程歩くと鳥居が見えてきた。
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八幡神社のやしろの左の一回り小さなやしろが天満社になる。
541CIMG2462.jpg
絵馬は540叶神社と同じようである。
541CIMG2461.jpg


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540叶神社(浦賀・横須賀市)

2013.08.29 17:10|神奈川県三浦半島
【祭神】誉田別尊 ( ほむだわけのみこと ) ・菅原道真 ( すがわらみちざね )・ 火之迦具土命 ( ほのかぐつちのみこと )・ 武甕槌命 ( たけみかずちのみこと )・ 経津主命 ( ふつぬしのみこと )・ 木花咲夜毘売命 ( このはなさくやひめのみこと )・ 猿田彦命 ( さるたひこのみこと )・ 大山咋命 ( おおやまくいのみこと )・ 食保命 ( うけもちのみこと )・ 大名持命 ( おおなもちのみこと )・ 少名彦命 ( すくなひこなのみこと )・ 日本武尊 ( やまとたけるのみこと )・ 弟橘媛命 ( おとたちばなひめのみこと )・ 天日鷲命 ( あめのひわしのみこと )・ 食保命 ( うけもちのみこと ) ・素盞嗚尊 ( すさのおのみこと )
【由緒】天満神社 祭神 菅原道真、明応九年(一五〇〇)勧請。
【鎮座地】 神奈川県横須賀市東浦賀2-21-25
【行程】浦賀は初めてである。京急浦賀駅は高台にあり、ホームから浦賀湾が望める。深い入り江で天然の良港、ペリーが日本への足掛かりとしてここを選んだのもうなずける。
駅下の小さなバスターミナルは、どういうわけか学生たちでいっぱいで、目的地へは歩いて行くことにした。
県道を10分ほど、さらに右手海岸にそって歩いて行く。
笛と太鼓のお囃子が聞こえてきた。お祭りでもあるのだろうか。
・・・
左手に鳥居が見えてきた。
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この神社はたくさんの神々が祀られているが、絵馬のデザインは道真公がモデルか?
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境内からは浦賀港がよく見える。
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後背の社叢林は県の天然記念物に指定されている。
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398久里浜天神社(久里浜・横須賀市)

2013.08.29 15:55|神奈川県三浦半島
【祭神】菅原道真公
【由来】「社殿によれば大阪の義人 砂村新左衛門、官許を得て往古は入海なりし内川入江一帯の荒漠たる葦原を開墾し、一村を作らんと内川新田開発の志を立てしが工事容易ならず 茲に神明の加護を待つべしと悟り、万治三年(1660)六月、郷里なる摂州西成郡上福島村の天満宮を勧請し、内川新田鎮護の神として この地に奉斎したのが創祀である。爾来、人々篤く崇敬し、世々神徳を蒙りて生業に励み、遂に豊穣なる一村を興す。諸人神慮の広大無辺なるを奉謝し今日に至る。現在の当社は、広く三浦半島に全域に鎮座する八十余の神社の内菅原道真公を主祭神として祀る唯一の神社であり、久里浜の天神さまと親しまれ、近郷各地よりの参詣も多い」(案内板より)
【行程】旅ナビのゴール設定は、住所を入力するだけではうまくゆかないことがある。今回も、神社後方からのナビになってしまった。ゴールを公道寄りにした方がよいかも。
結局、何も考えずに、先の八幡神社前の道を海の方へ歩いてゆけばよいだけのことだった。
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境内の右側に道真公を乗せた撫で牛。ちょっとやり過ぎでは。
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前から。このタイプの撫で牛は初めてだ。
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社殿は立派である。
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従三位杉孫七郎銘の扁額
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【キーワード】異質な街

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397八幡神社(久里浜・横須賀市)

2013.08.29 15:35|神奈川県三浦半島
【祭神】応神天皇
【配祀】天照大御神・素戔嗚尊・大物主大神・大山祇大神・菅原道真公
【八幡神社の由来】「日本書紀が書かれた養老四年(720)当時の武人達によって創建されたと伝えられております。応神天皇は仲哀天皇と神功皇后との間の皇子西暦239年第十五代天皇であり、大和国と九州を統合し、日本の統一国家の基礎をつくり、その治世に新しい産業文化の育成を図られ、技術導入にも御熱心であったことから、先取的な事、発展的な事に御利益があるとされ、お祀りされております。当神社境内から弥生式土器が出土しているので古墳が点在していたことが立証されます。特に前方後円墳(たで原遺跡)の発見は当時有力な豪族のもとで稲作がおこなわれていたと思われ、たで原と八幡地区が生活の中心であり最も栄えたと言われます。天正十八年豊臣秀吉は天下統一の最後の小田原攻めにより三浦の北条氏を滅ぼし鶴岡八幡宮に祈願し、栗浜(現久里浜)八幡神社には米三石を寄進され、徳川歴代将軍もこれにならい継承し武運長久祈願に武具などを奉納し幕府の直轄地(天領)と定め米三石、社領約千余坪の御朱印を賜りました。その後明治三十一年黒田内閣により八幡宮の御名を賜り大正年間神饌幣帛供進神社に指定、第二次世界大戦後、日本国憲法の制定により戦前の神道が廃止され、御社名がもとの八幡神社と称して今日に至っております」(境内の案内板より)。
【行程】JR久里浜駅のホームに降り立つと風を感じる。改札を出ると風は勢いを増し、微かに海の香りが。風に背を押されながら歩く感じで、時に向かい風もあるが、左手に八幡神社の鳥居が見えてきた。
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左手の案内板を一読し、道真が祀られていることを確認する。・・・。
社殿に、深く頭を垂れる。
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迂闊にも剪定ばさみで手を深く切ってしまったので、柏手は形のみ。
【キーワード】浜風・海風・潮風・塩霧

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396天満宮(上町屋・鎌倉市)

2013.08.29 09:15|神奈川県三浦半島
【祭神】菅原道真
【由来】天慶年間(938~947年)、上総介平良文が霊夢により天神を祀ったのがはじまりとされる。
 社殿は天明元年(1781年)の再建、石造鳥居は天保11年(1840年)の建立。
 かつては、近くの泉光院が管理していた。正月に泉光院から御幣を受けて祀る習慣が今も続けられている。こちらより頂きました。 
【行程】JR大船駅よりモノレールに乗り換える。
ちょっと硬めの振動に揺られて、二つ目の駅、湘南町屋で下車する。暑い日差しを避けながら10分ほどで社頭に。天まで届きそうなポールは異次元への入口にも思える。
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梅の木と拝殿。
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この神紋は何と言うのか?。とろあえず梅鉢紋としておく。
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社殿の左後方に道真公と思われる石像がある。
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【キーワード】三菱電機・タクシー

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15荏柄天神社(鎌倉市)

2011.09.08 04:38|神奈川県三浦半島
【祭神】菅原道真
【由緒】長治元年(1104年)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀った縁起に始まります(荏柄神社ホ-ムページより
【例祭日】7月25に
【神紋】星梅鉢
【行程】鎌倉には、たしか3回ほど来たことがあるような記憶があるが、荏柄天神社は初めてである。
鶴岡八幡宮を、右手の道を通り、20分ほど歩いて、前もって調べておいた佐可井で、穴子丼で腹ごしらえする。

店は個人宅を改装したような造りであった。中に入るとすでに4組ほどの先客がいた。
目的の穴子丼を注文する。
程なく運ばれてくる。まずまずであった。

鎌倉の歩道は狭い。北鎌倉もそうであったが、ここから、荏柄天神社へ向かう道もせまい。
プリントしておいた地図を片手に、ぼちぼち右方面と目安を付けて向かってゆくと、荏柄天神社の標識が。
しばらく歩いて、ここかと思ったがどうも違う。白旗神社であった。

左手の公園で年配数人が昼食をとっているようなので聞いてみる。
戻って、左へ曲がれとのこと。

左へ曲がり、まっすぐ行くと、左右に開けた道にぶつかる。
左手遠くに、鳥居が見えるのでそれを目安に進む。

途中、左手に荏柄神社との書いてある石柱が見えたが、向かいの鳥居がそれであると思い込んでいるので、
それを目指して進む。着いた先は鎌倉宮とありました。

引き換えし、先ほど見た印にもどる
鳥居をくぐり、石段を昇ると本殿、やっと着きました。
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もっと大きな造りをイメージしていました。

撫で牛は無く、神紋は星梅鉢でした。