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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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2405菅神社

2018.10.03 08:23|東京都豊島・板橋区
【祭神】菅原道真
【由緒】「・・・境内には末社として御嶽神社や菅神社、水神宮が祀られています。・・・」(境内の案内)
【鎮座地】東京都 板橋区 四葉二丁目8-8 稲荷神社境内


三田線志村三丁目駅を降りて、バスを利用。
バス停四葉町を下車し、道路を渡るとすぐに稲荷神社
2405CIMG6798.jpg
境内西側に四社の境内社が祀られているが、どちらかが菅神社と思われる
2405CIMG6795.jpg

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476天満宮(氷川神社内 氷川町・板橋区)

2014.02.12 14:50|東京都豊島・板橋区
【祭神】菅原道真
【由緒】北豊島郡誌によると、当時の社殿の後方に末社の一つとして、あったと推定される。戦災で社殿が焼失したようなので、末社も被害を受けた可能性がある。復興の過程はよくわからない。もとは加州公(加賀藩主)の屋敷内で祀られていたもののようである。ウィキペディアでは北野神社となっている。
※加賀藩下屋敷;本社の東側、加賀一丁目・二丁目、板橋三丁目・四丁目の約22万坪を占めていた。と言うわけで板橋区は金沢市と友好交流都市協定を結んでいる。
【行程】都営三田線の板橋区役所下車。国道十七号、上には首都高速、ここらは旧中山道だったらしい。横断歩道を下り方面に渡る。ほどなく鳥居が見えてきた。
476CIMG1792.jpg
二の鳥居の右側に大きな築山があり、そのあちこちに末社を祀っている。たぶんこの中に天満宮(北野神社)もあると思われるのだが・・・。
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あるいは本殿に祀られれているのか・・・。
476CIMG1795.jpg
郡誌では石神井川の素晴らしさを述べている。社殿の裏へ回って石神井川沿いを歩いてみる。想像以上に深く、水量も多い。もうじき桜の季節になる。
476CIMG1922.jpg



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475天満宮(小豆沢神社内・板橋区)

2014.02.12 14:10|東京都豊島・板橋区
【祭神】菅原道真 と思われる
【由緒】北豊島郡誌に言う「此の地往古七々子崎と称し十二の入江ありとして、後年十二天に配祀せしなりと伝ヘリ、維新後社名を改む」
小豆沢=あずさわ
【行程】小豆沢二丁目のバス停下車。ナビに沿って歩いてゆくと小豆沢公園から神社の西側からの参拝になってしまったが、正式な参道は南側からのようである。
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二の鳥居の先が境内になっている。
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天満宮は左手、いくつかの境内社と共に祀られている。
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474菅原神社(成増・板橋区)

2014.02.12 12:00|東京都豊島・板橋区
【祭神】菅原道真
【由緒】創建年代は不詳であるが、旧成増村の鎮守にして、明治七年四月に旧社格「村社」が与えられた。江戸時代には青蓮寺が別当となっていた。幕府編纂の地誌新編武蔵風土記には「山王社」、境内にある延宝七(1679)年銘の区内最古の手水鉢には「自在天神」、さらに明治二年の「社寺取調下案」に「天神社」とある。このことから当社は、社号(神社名)がしばしば変更されていたようである。本殿は明治十七年八月に氏子の寄付金によって再建され、大正年間には拝殿が新築されている。 平成三年七月 板橋区教育委員会
※青蓮寺はここより北東約500mにある。
【例祭等】北豊島郡誌では十月二十五日例祭とあるが、今日では変わったようである。
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【行程】473徳丸北野神社から成増へナビをセット。ほぼ真西の方向になる。小一時間歩いて、菅原神社の前へ。
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階段を登ると一の鳥居、二の鳥居の先が境内のようである。
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社殿がポツンと建っている感じ。いろいろ理由はあるのだろうが、社叢を伴わない神社はちょっと寂しい。
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473徳丸北野神社(徳丸・板橋区)

2014.02.12 11:00|東京都豊島・板橋区
【祭神】菅原道真
【由緒】長徳元年(995)正月十一日京都北野神社より勧請する。徳丸の氏神である。
【行程】東武練馬を下車。道なりに北上し、宮の下の交差点から住宅地に入る。遊歩道に案内図がある。この先は天神坂らしい。ここは前谷津川緑道の東端になるようだ。
473CIMG1769.jpg
急坂を登りつめると、景色が開け、正面に鳥居。
473CIMG1770.jpg
境内は広々としている。開き始めた梅の花と社殿。郡誌によると社殿は太宰府天満宮を模しているという。
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左手に撫で牛が一体。
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もう少し低く設置すればいいのに。撫でることが出来そうにない。
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472北野神社(天祖神社内 南ときわ台・板橋区)

2014.02.12 10:00|東京都豊島・板橋区
【祭神】菅原道真公
【由緒】北豊島郡誌に末社として記載あり。記述を素直に解釈すれば、明治六年には、境内社として祀られていた模様。
【行程】東武東上線ときわ台駅を降り、数分で鳥居の前。門前の「森の番所」、民間の交番らしい。
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鳥居をくぐると、すぐ右手に境内社が数社祀ってありました。
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天神様は右から二つ目稲荷さんの左にありました。
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中に、夫婦と思われる御神体が二体。色鮮やかでひな人形のようである。胸に梅鉢紋が施されている。梅花紋に見えるのだが・・・。

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294子安天満宮(北大塚・豊島区)

2013.03.09 14:50|東京都豊島・板橋区
【祭神】菅原道真
【例祭日】5月25日
【由緒】天文年間(1533~1555)の鎮守。室町時代天文年間に巣鴨保坂氏の祖先、仁平(にだいら)三河守盛義(新編武蔵風土記???の項参照)が三河の国から(一説には京都から)この巣鴨の地に来て、当神社の西方低地谷端川のほとりに陣屋と称する家屋敷を構え、巣鴨村??の住人となって(駒込圓勝寺の墓石参照)土地の開墾に勤め、同時に屋敷の東西南北の小高い場所に神々を祭って屋敷神とした。北は氷川神社(北大塚一丁目38番八号の辺り)、南は熊野神社(南大塚三丁目39番五号の辺り、現在は天祖神社社内に移る)、西は稲荷神社(北大塚一丁目???の辺り、又は同二丁目33番の辺り)、そして東に勧請したものが菅原道真公を祭るこの神社であり、最も広く、明治時代は坂の下の道迄??坪の境内地を擁した。盛義は元亀二年(1572)に没し、????やめて姓を保坂と改め、代々徳右衛門と名乗るようになり、やがて江戸に徳川幕府がおかれ、中仙道の往来がしげくなるにつれ、陣屋をすてて中仙道筋に移り、永く増上寺領巣鴨村の名主を勤めた。保坂氏の子孫は絶えることなく、当神社の奉仕を続けて今日に至っている。尚この辺一帯の土地を天神山と唱えるのは、この御宮に来するものであり、社号に子安の二文字を冠するのは子育ての意味である。当神社は江戸時代の江戸惣鹿子名所大全、須原屋版分間大絵図等にも登場され、江戸名所図会の巣鴨真性寺の遠景にも描かれている。平成16年五月 菅原神社
(注)?は原本が不明なのでなく、デジカメの写真が逆光でよく見えないため。
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江戸名所図会の巣鴨真性寺(本社の500m北東)の背景に天神山の本社が描かれている。
【鎮座地】東京都 豊島区 北大塚一丁目7番3号
【行程】暖かい空気に誘われて、梅の花も満開では、と思い寄ってみました。いつもの裏からのお参りになりました。
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正面から。
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満開の梅の花でした。
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