FC2ブログ
07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
プロフィール

牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

最新記事

カテゴリ

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

検索フォーム

リンク

QRコード

QR

カウンター

1289菅原神社(虫窪・大磯町)

2016.04.27 09:00|神奈川県西湘
【祭神】菅原道真公
【由緒】北条家の重臣(その後徳川の家臣)二宮重晴、忠勤に励みまた能書家であったため、数馬正、作の天神像を賜り、これを屋敷内に祀る。正徳二年(1712年)虫窪村の鎮守として現在地に宮を移す。
【鎮座地】神奈川県 中郡 大磯町虫窪359番
【拝路】JR大磯駅からバスを利用。「天神下」下車。バスの進行方向に坂を上ると右手に鳥居。
1289CIMG8353.jpg
石段を登ってフェンス前、施錠されているので左手をよじ登って境内へ
1289CIMG8354.jpg
神額
1289CIMG8355.jpg
横から
1289CIMG8357.jpg
絵馬
1289CIMG8356.jpg
坂上の市道から
1289CIMG8359.jpg

スポンサーサイト

581山角天神社(小田原市)

2014.08.08 12:40|神奈川県西湘
【祭神】菅原道真
【由緒】山角=やまかく。創建年代は不明。御神体の木造に「永禄四年」とある。1561年で、相当古い。北條氏康(1515から1571)寄進の画像が残されているという。
※この地域は北条氏の家臣山角定吉の屋敷があった。
【鎮座地】神奈川県小田原市南町1ー5ー37
【行程】素朴なドアに誘われて中へ。
581CIMG2912.jpg
中は洒落た感じのイタリアンレストラン。こういうところは得意でない。何とかオーダーし、食事を終える。
581CIMG2911.jpg
若いシェフが頑張っているようだ。店名CrossRoad
小田原城を抜け。
581CIMG2913.jpg
尊徳神社の参道を横切り、「経済なき道徳は虚言であり道徳なき経済は犯罪である」
581CIMG2914.jpg
天神社の参拝は後ろからになってしまった。
581CIMG2915.jpg
参拝。
581CIMG2918.jpg
絵馬の形が五角形。
581CIMG2917.jpg
階段をおりる。こちらが正面になるようだ。
581CIMG2920.jpg
注)後に知ったのだが、本社にもとうりゃんせの歌碑があるようだ。


より大きな地図で 天満宮散策 を表示

580北ノ窪天神社(北ノ窪・小田原市)

2014.08.08 11:05|神奈川県西湘
【祭神】菅原道真
【鎮座地】神奈川県小田原市北ノ窪144
【行程】伊豆箱根鉄道大雄山線飯田岡駅下車。途中、道祖神の石祠が、あったりして、古くからの地域らしい。
580CIMG2910.jpg
ゆっくり歩いて10分ほど。
580CIMG2904.jpg
ポツンと社殿が建っている。
580CIMG2905.jpg
大棟の紋章が三つ星とはどういう意味なのか。
580CIMG2907.jpg


より大きな地図で 天満宮散策 を表示

579菅原神社(駒形神社内 畑宿・箱根町)

2014.08.08 09:25|神奈川県西湘
【祭神】菅原道真
【鎮座地】神奈川県足柄下郡箱根町畑宿上野山102
【行程】箱根登山鉄道箱根湯本駅下車し、駅向かいのバスターミナル4番から畑宿方面。3番あたりは多くの人で賑わっているが、4番からは乗客一人で発車。三枚橋から旧道に入る。
579CIMG2902.jpg
道は狭く、急坂を、バスは唸りをあげて登る所もある。たしかに昔の旅人にとって難所であったのもうなづける。
本陣跡で下車。駒形神社はバス停のすぐ先にあった。
579P1000148.jpg
境内の左手に菅原神社が鎮座している。
579P1000149.jpg
中に道真公と思われる像が安置されている。梅鉢紋を確認。

より大きな地図で 天満宮散策 を表示

578菅原神社(国府津・小田原市)

2014.07.29 15:40|神奈川県西湘
【祭神】菅原道真 ( すがわらみちざね ) 天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ ) 大山津見命 ( おおやまつみのみこと ) 木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと ) 誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
【由緒】学問の神菅原道真公を祭神と仰ぐ『当菅原神社は正歴五年(西紀九九四年)六月晦日の黄昏時納涼せんと海岸に里人が集うと、奇なる木船が汀に漂い来りて束帯せる一貴人が錦の袖にて招き給う。里人は之を招じて麦飯に麦粉をかけて饗す。其の夜里人の夢枕に貴人現われて告げて曰く、「京の管神を崇敬せば幸多からん」と。目覚むれば貴人の姿はなく菅公の肖像一躰(現存の神像)残れりよって之を御神体として神社を創建せり。』  神社は現在地であり昔時は諏訪の森と称し、諏訪社(西紀750年頃)があって之と合祀した。それで年々六月晦日を祭典の日と定め麦飯麦粉をかけて必ず之を神前に奉供した。又神輿は、相模湾岸に渡御し小総の里(後の古宇津宿現在の国府津)海岸で神事を行った。爾来思想文化の中心としてもてはやされ天神信仰の源泉となり庶民の教養を高めた。祭典日に関しては明治初年の改暦と共に七月晦日に改められ更に各天満宮の申合せで二十五日を祭日と決定した。因みに道真公は誕生日・右大臣就行日・大宰府赴任日・九州に於いて薨去の日何れも二十五日なので祭神の神霊供養のため月は異なっても二十日を祭典と決定、之に従い当神社では明治三十一年から毎年四月二十五日を祭典と定め現在に至った。尚、当神社の神輿は総重量二三〇〇キロありその優美さと佳麗なることは関東随一と称されて居る。古来当神社別当は安楽院であったが明治維新の神仏分離の法令により専属の神官が奉仕することになった。明治三十五年火災により社殿を全焼し明治四十二年復興され、又同年八月官令により、諏訪社及国府津全域に散在奉仕していた各柱を一同に合祀した。諏訪社・浅間社・神明社・稲荷社・日枝社 昭和五十二年九月 (境内の案内より)
【鎮座地】神奈川県小田原市国府津1752
【行程】東海道線国府津駅。
578CIMG2841.jpg
境内右手に「とうりゃんせ」の歌碑。ここが発祥地らしい。
578CIMG2843.jpg
社殿。
578CIMG2845.jpg
左手に撫牛が一体。
578CIMG2846.jpg
前から。
578CIMG2847.jpg
さらに拝殿の左手にも撫牛?。彩色された撫牛はめずらしい。
578CIMG2849.jpg
撫でることのできない撫牛。
578CIMG2850.jpg
絵馬。
578CIMG2853.jpg


より大きな地図で 天満宮散策 を表示