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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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1717菅原神社(白山神社境内 俵田・君津市)

2017.04.20 10:42|千葉県君津・富津市
【祭神】菅原道真
【鎮座地】千葉県 君津市 俵田1452番地 白山神社境内


旧国道410号わきに鳥居
1717CIMG1983.jpg
白山神社の社殿の右手、さらに50mほど上ると左手に社が見える。
1717CIMG1986.jpg
神額は天神社となっている。社号は千葉県神社名鑑の菅原神社を用いた。
横から
1717CIMG1988.jpg

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1716熊野神社(箕輪・君津市)

2017.04.20 09:52|千葉県君津・富津市
【祭神】天御中主神・伊邪那美命・鵜草葺不合尊・瓊瓊杵命・猿田彦命(・神明・子守・天神・八幡・日枝社)
【由緒】大正二年神明神社・子守神社・天神社・八幡神社・日枝神社を合祀
【鎮座地】千葉県 君津市 箕輪507番


俵田駅を下車。神社方面
1716CIMG1976.jpg
山際の道を、道なりに進むと鳥居前に着いた。
1716CIMG1979.jpg
右手の社号標には「村社熊野神社」とある。
緩く参道を登って、一段高い所に社殿
1716CIMG1980.jpg
横から
1716CIMG1981.jpg
ミツバツツジ?が満開であった。
境内に社がないので、合祀神は祭神として祀られていると判断した。

1715天神社(久留里神社境内 浦田・君津市)

2017.04.20 08:21|千葉県君津・富津市
【祭神】菅原道真
【由緒】大正二年大和田の天神を合祀。大和田という地名が本社の北西、小櫃川の左岸にある。
【鎮座地】千葉県 君津市 浦田15番


久留里神社へはバスが便利がいい。JR千葉駅を出て、およそ二時の方向に、鴨川方面行きのバス停がある。
カピーナ号に乗車。
1715CIMG1964.jpg
一時間ちょっとで久留里城三の丸跡に到着
1715CIMG1965.jpg
200mほど戻ると左手に鳥居
1715CIMG1968.jpg
本殿の右手に末社殿
1715CIMG1971.jpg
中に小祠が祀られている。天神社は一番左手に鎮座
帰りは久留里駅へ
1715CIMG1975.jpg
【参考文献】久留里神社御由緒 平成13年

1660北野神社(広岡・君津市)

2017.03.16 09:03|千葉県君津・富津市
【祭神】菅原道真公
【由緒】口碑によれば、長享二年(1488年)里見刑部小輔(義實)の創建となっている。本社の境内は元里見家の城址である。
【鎮座地】千葉県 君津市 広岡1524


久留里駅で通学の学生が大量に下車して、乗客は二人になってしまった。ICカードは使えないようで車内で乗務員に清算してもらう。上総松丘駅下車。線路を渡って、すぐ東側の国道に行けたが、西口から時計回りで国道にでる。
北野神社の案内はないが、「千本城址」の案内が国道わきに立っている。
1660CIMG1576.jpg
ここを左折して緩やかな坂道を上る。突き当りの一段高い平地に建物が見える
1660CIMG1560.jpg
境内に上がって建物を見ると室内に北野神社の幟がある。ここが目的の神社か、と思ったが、念のため左手の道を上ってみる。
すると「北野神社」の案内が立っている。
1660CIMG1561.jpg
やはり山の上にあるようだ。
途中舗装の参道もある。
1660CIMG1563.jpg
が大半は未舗装の山道になる。
1660CIMG1565.jpg
八合目?付近で鹿と遭遇。これまで山鳥、フクロウ、キジなどと遭遇したが直接鹿と対峙するのは初めてだ。
約10分で社殿前
1660CIMG1566.jpg
大棟の紋章
1660CIMG1570.jpg
社殿、横から
1660CIMG1571.jpg
山里に春の兆し。
1660CIMG1575.jpg
コブシの花?

1658飯野神社(下飯野・富津市)

2017.03.10 08:46|千葉県君津・富津市
【祭神】保食神・建御名方命・大国主命・稚産霊命・素戔嗚命・倉稲魂命・迦具土神・大山咋命・誉田別命・大己貴命・天照大御神・佐田彦命・中筒男命・菅原道真・聖神・末珠名(98より)
【鎮座地】千葉県 富津市 下飯野965番地


JR青堀駅下車。直接東側に出れないので、こ線橋で東側へ。
10分ほど住宅地を進み、畑地がメインになった頃、境内の後方から参拝。正面から。
1658CIMG1541.jpg

1488鶴舞天神社(八幡神社境内 六手・君津市)

2016.10.21 12:23|千葉県君津・富津市
【祭神】菅原道真公
【鎮座地】千葉県 君津市 六手(むて)59番地 八幡神社境内


晩秋の農道を東に。正面の林付近に神社があるはずである。
1488CIMG9910.jpg
稲を根元から刈り取り、ロールにしてフィルムでグルグル巻き(ラッピング)すれば、稲ホールクロップサイレージの出来上がり。乳牛や和牛の子取り用母牛のエサになる。通常、肥育牛には給与しない。肉質が悪化する。

集落そして林を抜けると社殿前に出た。
1488CIMG9911.jpg
ここに天神社が鎮座。
1488CIMG9912.jpg
絵馬
1488CIMG9913.jpg
100mほど南から参道が伸びている
1488CIMG9914.jpg

1487菅原神社(常代神社境内 常代・君津市)

2016.10.21 12:00|千葉県君津・富津市
【祭神】菅原道真
【由緒】永観元癸未年(983年)上総守護職藤原竹国京都北野神社より勧請。後に後奈良天皇天文二年(1523年)4月18日、天神山住人小泉伝八神像を奉斎
【鎮座地】千葉県 君津市 常代806番地 常代神社境内


常代(とこしろ)のバス停を下車し東の方へ。小糸川の支流の小さな川を渡る。小さな川であるが谷は結構深い。
交差点の標識を目安に
1487CIMG9898.jpg
直進し鳥居が見えてきた
1487CIMG9899.jpg
常代神社であることを確認し
1487CIMG9902.jpg
石段を上り
1487CIMG9901.jpg
社殿前
1487CIMG9904.jpg
右手の社がそうであろう
1487CIMG9905.jpg
中に小祠が二棟。左手のやや大きめの小祠に道真公と思われる座像が祀られている。
書いたものはなにもないが、ここが菅原神社であろう。

1486菅原神社(八雲神社境内 三直・君津市)

2016.10.21 11:17|千葉県君津・富津市
【祭神】菅原道真
【鎮座地】千葉県 君津市 三直(みのう)1174番地 八雲神社境内


君津駅前からバス、
1486CIMG9890.jpg
君津バスターミナル下車。緩い坂道を時計回りに登って10分ほど。
1486CIMG9891.jpg
ここは二の鳥居になる。
参道はこれより南に300mほど続き台地下に一の鳥居がある。南側より遠望。中央の朱色が一の鳥居。その後ろが社叢になる。
1486CIMG9916.jpg
本殿右手に小さな社がある。
1486CIMG9895.jpg
左、菅原神社。
1486CIMG9896.jpg


1458菅原神社(北子安二丁目・君津市)

2016.09.27 14:17|千葉県君津・富津市
【祭神】菅原道真・誉田別命・(日本武尊)
【由緒】正慶元年(1333年)六月二十五日、時の地頭この地の鎮守として本社を創建し菅公を祀る。元禄元年領主の祈願書となる。領主萩原弥右エ門、窪田鉄三郎、中村右京、原隼人の四氏、田・畑を神領として寄進かつ毎正月七日祭祀料を供進し流鏑馬の神事を執行せら、現在まで至る。これは市の文化財になっているようだ。
1458CIMG9640.jpg
明治維新までは天満宮と称していたが、菅原神社に改称す。
【鎮座地】千葉県 君津市 千葉県君津市北子安二丁目18番1号
【拝路】君津駅から徒歩で30分弱。西側が正面になる。曼珠沙華の時期になった。
1458CIMG9634.jpg
神額
1458CIMG9635.jpg
石段を上って境内へ
1458CIMG9636.jpg
絵馬
1458CIMG9637.jpg
大棟の紋章
1458CIMG9638.jpg
梅鉢紋三つ。
社殿横から
1458CIMG9639.jpg
朱色は曼珠沙華の花の色、と知りました。

1457日枝神社(佐貫・富津市)

2016.09.27 12:33|千葉県君津・富津市
【祭神】誉田別尊・倉稲魂命・菅原道真
【由緒】天神社は旧城内にあり。明治四十三年合祀。寛永七年の佐貫城古図(233)には、本丸の東南に神社マーク(小さすぎて不確か)らしき印が見える。一応創建は1630年としておく。
【鎮座地】千葉県 富津市 佐貫569番地
【拝路】内房線佐貫町駅より徒歩で20ほど。
1457CIMG9633.jpg
中腹に社殿
1457CIMG9630.jpg
横から
1457CIMG9632.jpg
【補足】佐貫城;中世からの城であるが、江戸期の城主は内藤、松平、宝永7(1710)年、阿部民部少輔正鎮が三河刈谷から入封して佐貫城を再興、以後は阿部氏歴代の居城となった。明治四(1871)年に廃藩置県によって廃城。
池波正太郎の剣客「おまえの師匠が出入りしていた阿部駿河守の下屋敷で・・・」