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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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20西新町天満社(中央町・大分)

2011.09.25 09:15|大分県大分市大分地区
【祭神】菅原道真
【例祭日】2月25日、7月25日、11月25日
【由緒】寛永の頃、この地域はまだ田圃で、その中に巨松二株あり、里人はこの一帯を藪天神と言っていた。天正14年(1586)大友と薩摩の戦いで笠和村の笠和天満宮が戦いで焼失することを恐れて、御神体を巨松の下に埋めた。その後、御神体を掘り起し、松の近くに安置した。承応2年(1653)藩主日根野吉明公が神殿を築造し、宝暦二年(1752)に現神殿の形となる。
「寛永十六年(1639)四月、笠和町後藤氏老人、西新町に来り語りて曰く、天正兵乱の時、我祖父、此の天満宮の石躰を二本松の元にうづみかくす。時に西新町瓦師高畑氏・木村氏是を聞きて、敬して其の松の許をうがち掘る。果たして天神を得る。其の時、高畑氏大いに感悦して、府主の命を受け、新たに宝殿を其の松の許に営み、天神石躰を安置す。毎年六月・十一月廿五日、人民笠和町明王院をして秡を奉り、天神を祭る。霊験厳かなり。承応二年吉明(日野根)之を再建」(大分市史より、一部改編)。大分市史では藪天満宮とある。
【撫牛】一体(手水舎の後ろ)
【紋章】梅鉢(手水鉢、神殿)
【行程】友人の車を借りて出かける。府内城の南を東西に走る昭和通を西の方に走り、寿町一丁目の信号の手前左側に繋がる通りの先にちょっと見えるが、ここは一方通行なのでこの交差点を左折し、すぐに稲荷神社の鳥居が左手に見えるが、この先を左折し、左折、左折で先ほどの小さな通りに出、すぐ先の左手に目的の社が見えた。
006
車は境内の空いた所に置かせてもらう。
敷地は広くないが天神様らしい雰囲気がある。
鳥居をくぐると、すぐ左に手洗い所があり、その前に撫で牛が鎮座していた。
007


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前から
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社殿
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紋章は梅鉢である。

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18北総天満宮(千葉市)

2011.09.16 05:02|千葉県千葉市中央・緑区
【祭神】菅原道真
【由来】当社は北総来迎時天満宮と称し、伏見宮尊空法親王(1552-1597)が菅原道真公の像を刻んで念仏として信仰していた。従って創建は一応1580年とした。浄土宗に改宗のおり、親王の関与があったと推察される。来迎寺は建治2年千葉介13代氏胤が武運長久の祈願時として一遍上人に命じて建立した。天正18年徳川家康の命により、浄土宗中興の満誉上人を開山として御朱印50石を賜り房総3州の念仏根本道場とした。寺子屋時代には近郷の最高学府であったので、道場の地名が残っている。明治5年神仏分離令により現在地に天満神社社殿が建立された。絵は昭和二年の千葉市街俯瞰図に示された来迎寺と天満宮である。
18img.jpg
来迎寺は千葉空襲で被災し轟町に移転、天満宮は恐らく元の場所に再建されたと思われる。
【例祭日】7月25日【紋章】梅鉢


一応、絵に示されたような角地に建てられている。
023

神額に北総天満宮とある。
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本殿に紋章は見当たらなかったが手水石に梅鉢紋。
025



17塩田天満宮(塩田町・千葉市)

2011.09.15 04:56|千葉県千葉市中央・緑区
【祭神】菅原道真(二柱)
【由緒】由緒は不明。大正15年の千葉郡誌に「北生実第二区の鎮守たり。氏子六十五戸あり。本殿間口二間奥行二間あり。境内五百二十八坪氏子寄進に係る建物多し。」とある。向塩田の天満宮が明治初期に合祀された。
【神紋】梅鉢
【撫牛】1体
【行程】名前の印象そのままに、海に近い平地にあった。
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森囲まれた社から、開放的な境内にいると、ちょっと不思議な気分になる。
人の気配はなく、塩気を含んだ風が吹き抜けているようだ。

本殿の左側に撫で牛が一体。
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祭日は10月15日。
創建年代は不明であるが、

紋章は梅鉢。

より大きな地図で 天満宮散策 を表示


16越智天満宮(越智町・千葉市)

2011.09.14 06:28|千葉県千葉市中央・緑区
【祭神】菅原道真
【由緒】言い伝えによれば、元禄元年(1688年)、当地の百姓惣代新兵衛、七郎エ門、治佐エ門等が相謀り、京都北野天満宮より菅原道真公のご神体を奉授し、産土神として奉祀。当時社殿は壮麗にして、境内には老樹生い茂り、近郷まれに見る社であった。明治29年3月7日火災により焼失、同34年現在の社殿造営。
【鎮座地】千葉県千葉市緑区越智町131
【例祭日】9月25日【鎮座地】越智町131
【行程】後に述べる、塩田天満宮、北総天満宮を目指して車で出かける。
カーナビに住所を入力し出発。

大網街道に入り、はなみずき台の交差点を斜め右に入り、住宅街を抜け、台地の斜面を下る。
突き当りを左折すると、道は平地と台地の縁を縫うように進む。

そろそろこの辺だがと思いながらゆっくり進む。
途中、散歩中らしいの老人を追い越し、ほとんど人通りのない田舎の道を進む。

これでは分からない、と思い空地を見つけて車を止め歩いて探すことにする。
先ほど追い越した老人が近づいてきたので、尋ねてみる。

「この先ですよ」老人はそう言い「散歩のコースの途中にありますよ」。
案内してもらうことにした。

「菅原道真知っています?」と尋ねると
「神様になった人間なんでしょ」と語尾を上げ、なんだか否定的なものの言い方であった。

ああ、こういう評価の見方もあるのか、と妙に納得してしまった。
平地を過ぎ、台地に進む坂道に入った。周辺は杉林で、一人で歩くにはちょっと寂しい。

坂道が台地の上に差し掛かる所にそれはあった。老人に礼を言い別れる。
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社は杉林の中にひっそり鎮座していた。
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鳥居は林の奥にあり、階段が下の方まで続いているので、おそらく平地の方から階段を上って
参拝するのが、通常のコースと思われる。

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手水石は明和五年(1768年)、南無天満大自在天神とある。
紋章は梅鉢であった。
【資料】「千葉いまむかし」より本社に関係する所の抜粋
正月二十五日 お産土天満神社の奉射的の行事あり。
二月二十四日 当番は天満神社に供物をし、その晩は籠りをする。
二月二十五日 天満神社のお祭り。
六月二十五日 お立ち。昔から立身出世の神として神奈川県大山あふり神社に、男子は必ず一生に一度はお参りする。お参りに出発する日をお立ちの日と言う。この日御産土神社に集まり、先輩から立酒盛と言って杯を戴き身を清めて立つ日である。

越智村は旗本三嶋氏の知行地であった。



15荏柄天神社(鎌倉市)

2011.09.08 04:38|神奈川県三浦半島
【祭神】菅原道真
【由緒】長治元年(1104年)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀った縁起に始まります(荏柄神社ホ-ムページより
【例祭日】7月25に
【神紋】星梅鉢
【行程】鎌倉には、たしか3回ほど来たことがあるような記憶があるが、荏柄天神社は初めてである。
鶴岡八幡宮を、右手の道を通り、20分ほど歩いて、前もって調べておいた佐可井で、穴子丼で腹ごしらえする。

店は個人宅を改装したような造りであった。中に入るとすでに4組ほどの先客がいた。
目的の穴子丼を注文する。
程なく運ばれてくる。まずまずであった。

鎌倉の歩道は狭い。北鎌倉もそうであったが、ここから、荏柄天神社へ向かう道もせまい。
プリントしておいた地図を片手に、ぼちぼち右方面と目安を付けて向かってゆくと、荏柄天神社の標識が。
しばらく歩いて、ここかと思ったがどうも違う。白旗神社であった。

左手の公園で年配数人が昼食をとっているようなので聞いてみる。
戻って、左へ曲がれとのこと。

左へ曲がり、まっすぐ行くと、左右に開けた道にぶつかる。
左手遠くに、鳥居が見えるのでそれを目安に進む。

途中、左手に荏柄神社との書いてある石柱が見えたが、向かいの鳥居がそれであると思い込んでいるので、
それを目指して進む。着いた先は鎌倉宮とありました。

引き換えし、先ほど見た印にもどる
鳥居をくぐり、石段を昇ると本殿、やっと着きました。
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もっと大きな造りをイメージしていました。

撫で牛は無く、神紋は星梅鉢でした。