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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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39国府台天満宮(国府台・市川市)

2011.10.25 15:30|千葉県市川市
【祭神】天満大神
【由緒】文明十一年(1479)、当地の鎮守として、太田道灌持資が建立したと伝わる。もと法皇塚の墳頂部(医科歯科大の体育館の東側)に祀られていたが、明治八年(1875)大学設立の用地として、周辺地域が買い上げられたとき農家と共に現在地に遷された。
【例祭日】10月25日
【神紋】梅鉢(神灯、鬼瓦)
【鎮座地】市川市国府台三丁目11番
【行程】京成電鉄国府台を下車し、駅前の道を北の方に進む。
たくさんの学生、女学生が多い、とすれ違う。しばらく歩いて、横断歩道を渡り、川の堤防の上に出る。
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途中、里見公園は?と尋ねるとこの先を歩いて、右にいくとある、との答え。
ここは江戸川が北総の台地と接しており、電車からここを見るたびに気になっていた所だ。
散策やサイクリングを楽しんでいる人が何人かおり、しばらく歩くと車道に着き、坂道を上ると里見公園のようだ。
坂をほぼ上りきると手前に公園の入り口がある。公園は相当広い感じがする。中央の花壇の周りにベンチがおいてあるので、座ってしばらく休むことにする。
天神様はこの公園の向かいにあるはず。反対側に出る出口がないのか、人の動きを観察していたが、反対側方面から来る人も、向こうに向かう人もいないのでおそらく出口はないのだろう。
それでもしばらく休んで、公園の外周付近を反時計回りに歩いてみた。結局出口はなく、入り口付近から公園の外に出て、公園の裏、北側に向かう。
ありました。
予想していた通り、今日は25日、道真の命日なのでお祭りをしていました
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もう夕方に近いのでお祭りも終わりに近いのか。
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お参りしていると、おばさんが御餅をくれた。聞くと必ず10月25日にお祭りをおこなっているとのこと。
社殿の中もにぎやかです。
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大木もみごとでした。
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本殿の灯篭の明かりが鮮やかでした
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38北野神社(北小岩・江戸川区)

【祭神】倉稲魂命・菅原道真・素戔嗚尊
【由緒】旧伊与田村の鎮守である。江戸時代にはこの地にあった稲荷神社と北方の北野神社が明治四十二年(1909)に合祀され、今の北野神社となる。昭和三十九年(1964)には一里塚近くにあった須賀神社を合祀し、そこで行われていた茅の輪くぐりをここで行うようになった。
【神紋】梅鉢(塀、賽銭箱、瓦)
【行程】京成電鉄江戸川駅を出て、左手、海側にある。
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境内は広くないが、緊張した空気が漂っている。
力石なるものも置かれている。
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紋章は梅鉢である。
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tag:京成線

37鎌田天神社(鎌田・世田谷区)

2011.10.19 16:00|東京都世田谷区
【祭神】菅原道真
【由緒】吉祥院の前にあり、境内を接している。菅原道真公を祀る、御神体は束帯姿の道真公で約35cmの木彫坐像、胸にあたるところに梅鉢紋がえがかれている。堂宇は2間半に3間の小堂である。天保十三年(1842年)の天満宮修復覚書が記録として残っているという。「新繍武議風土記稿」には「除地一段ニ畝、村内吉祥院ノ門前ニアリ、本社一門ニー間半、拝殿ニ間ニー間半、東向ナリ、神体ハ尋常ノ形ニテ長サ五寸余リ、社前ニ鳥居ヲ立、例祭ハ年々九月廿五日、本村ノ鎮守ニシテ吉祥院持、元ハ西寄りノ田間ニアリシヲ近村此処ヘ移ス、故ニ除地ハ其旧地ニアリ、社地ハ吉祥院境内ナリ、末社稲荷・神明合祀」と記されている。(せたがや社寺と史跡より)
【紋章】梅鉢(屋根)【鎮座地】世田谷区 鎌田四丁目11番19号
【行程】東急田園都市線二子玉川を下車し、北口に出て、左手を北の方へ向かう道を歩く。
歩道が狭く、歩きづらい。途中で右手から来る広い道と合流する。日もだいぶ落ちてきた。
20分以上歩いただろうか。そろそろ道を間違えたのかとか、バスにすべきだったとか後悔の念が湧いてくる。
小さな橋があり、渡ると交番があった。るすのようであったが、目的地が近いことを知る。
メモした地図を見ながら、住宅地に入り、目検討で左の方に入ってみる。
ありました。
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まことに殺風景な天神さんである。まあそれでも広場があるので、子供の遊び場にはなっていそうである。
紋章は梅鉢
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36若林天満宮(若林・世田谷区)

2011.10.19 15:00|東京都世田谷区
【祭神】菅原道真
【由緒】15世紀以前からからあるようで、環七の工事で境内が削られてしまったが、以前は多くの参拝者で賑わったそうである。虫歯治癒に効果がある?。
【例祭日】9月の第二土・日曜日。若林稲荷神社と合同で行うらしい。
【神紋】梅鉢(手水鉢)
【行程】東急世田谷線は、大阪の阪堺線に似ている。電車も、たしか二両編成でかわいい。
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軌道も街中の感じである。
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下高井戸から若林まで十分ほどの時間である。
若林で下車し、踏切を渡って、すぐ右に案内盤があったので、目的地を確認する。
斜めに環七の通りへ出ると、すぐ右にあった。
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正面から
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境内は小高い所にあり、下に環七が見渡せる。
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紋章は剣梅鉢である
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がんばれぼくらの世田谷線」によると、本社は15世紀以前からこの場所にあった。環七の拡張により参道が削られてしまい、現在はこじんまりとしていますが、以前は多くの参拝者で賑わったそうです。
現在は近くの若林稲荷神社と合祀されており、大祭も例年9月の第2日曜日付近に合同してで行われます。



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35菅原神社(松原・世田谷区)

2011.10.19 14:20|東京都世田谷区
【祭神】菅原道真
【由緒】寺子屋を開いていた石井兵助直慶が寛文五年(1665年)二月吉日に勧請したとされている
【例祭日】9月第四日曜日
【撫牛】一体(参道の右側)
【紋章】梅鉢(賽銭箱)
【行程】東京の品川から渋谷で降りて、京王井の頭線に乗り、明大前で降りる。
改札を出て左筋向いの店でおじさんに道を尋ねる。
そこのガードをくぐって右に向かう。線路沿いにあるいて三つ目の踏切を左に歩いてゆくとあります、とのこと。
右手の線路は京王線のようだ。
言われたとおりの道を15分もあるいたか、目的の鳥居が見えてきた。
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そう広くはないが、きれいでまとまった印象を受ける。
撫牛もまっていた。
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いわれも書いている。
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紋章は梅鉢であった。
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27天神社(津井・佐伯市)

2011.10.19 04:33|大分県佐伯市上浦・鶴見
【祭神】菅原道真
【由緒】弘化3年(1848)の鳥居が現存する。
【例祭日】7月27日
【神紋】梅鉢(幕、神灯、瓦)
【行程】国道を津井に入り、聞ける人を探す。
日本神社のピンポイントは、この地域では信用できないからである。これまでの経験から、年配の女性で信心深い顔品が持ち主が最も良い。

70歳前後と思われる女性が奥の小道から、国道の方にやってきたので聞いてみる。
さきのちょっと広い道を道なりに奥の方へ行くとあります、と答えてくれた。

言われたとおり広めの道を奥へ進み、日豊線の踏切を渡り、右にお寺を過ぎ、二叉路に、とりあえず右に進む。
行き止まりになったので、バイクを置き、小道を先に進んでみる。集落を見下ろす農道に出たので、見晴らしの良い所で下を見ると右手の方にそれらしい建物が見えた。
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戻って、先の二叉路を右に進む。
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こじんまりとしているが、天神様という感じである。失礼して中え。
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天井画です。
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紋章は梅鉢でした。
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tag:日豊本線

26天満神社(日向泊・佐伯市)

2011.10.18 05:30|大分県佐伯市(佐伯市)
【祭神】菅公
佐伯湾の大入島には二つの天神様があるようであるがそのうちの一つである。
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大入島へは佐伯の葛港から常永丸で堀切に渡り、降りた目の前の食彩館で自転車を借りて周遊する。
時計回りで、堀切から日向泊まで約30分であった。

この社は、「神の井」のすぐわきに鳥居がある。
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鳥居をくぐり階段を登ると突き当り
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右に行くと社、左に行くと岬の高台に通じる。
すぐ先が高台で、ここからは佐伯湾が一望される。左に蒲戸埼、右手に鶴見埼方面がよく見える。
引き換えして社の階段を登る。右に湾曲しており危なっかしい。
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社殿はこのようである。
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天神宮と書かれた?が見える
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紋章は確認出来なかった。

tag:日豊本線

25天満神社(福泊・佐伯市)

2011.10.18 05:29|大分県佐伯市上浦・鶴見
【祭神】菅原道真・事代主命
【由緒】天満社改築記念碑には次のように記されている。
「当天満社は明治27年3月当地区江尻東より現在地に移転され既に94年経過明治17年現在の記録はあるもそれ以前は不明である。明治初年の神佛??令の後建立され百十余年経過しているものと推定される。永年の風雨を凌きて老朽甚だしく先人の偉業と労苦を偲び之を称え氏子の総意に?り改築し地区??神として永く子孫に傳承する
町文化財調査委員長
福泊地区長         山田 寛   記文
昭和63年4月」
宝暦年間(1751~1763)佐伯藩の社寺取調帖に当社の存在が記録されている。明治17年恵比須様を合祀する。
【神紋】梅鉢(手水鉢)
【行程】地区の公民館の真裏の小高い所に見える。
この天神様は、サイト日本神社のリストになく、所在は最初母から聞いた。まぼろしの天神様である。
見上げるような階段がある。
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境内はきれいに清掃されており、大事にされているようである。
相当の樹齢と思われる?が数本残されている。
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手水の水盤にわずかに剣梅鉢と見れる紋章がある。
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本殿の天井絵はきれいであった。
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道真像も置かれていた。
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鳥居の下から、三石方面を望む
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tag:日豊本線

24天満宮(愛宕神社内 夏井・佐伯市)

2011.10.18 05:05|大分県佐伯市上浦・鶴見
【祭神】菅原道真 と思われる
【由緒】不明のようである。愛宕様は、「神託により山城国愛宕の神を野平の山に勧請したが、その社地は人里遠く離れ山路険しく、日々の参拝も困難であったため、天明年間(1781~1788)に現在地に遷座した」とある。
【神紋】星梅鉢。上記のようにこの地は京都に縁があるようで、星梅鉢はその名残かもしれない。
【行程】大分県の東部、豊後水道に臨むこの地域はリアス式海岸で、海が山地に迫っており、人々はその斜面や、わずかな平地で暮らしている。そのため、家々を結ぶ道は狭いことが多いが、この地区の道は特に狭い。バイクがかろうじて抜けれる程度である。

グーグルの地図によれば、天神様は地区の中心にある。そのつもりで、地図に示された当たりを通ってみたがそれらしきものはない。左手の小さな山の中腹に寺社らしきものがあるのでそちらに行ってみる。

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階段を上り、踊り場で休み、また登り、踊り場で立ち止まる。正面は愛宕神社、右手の社を目指してまた階段を登る。千眼寺?。ここではなさそうである。階段を下り、村人に聞いてみよう。50すぎ位か、おばさんが通りかかったので聞いてみる。知らないという。さて困った。ないことはないだろう。しばらく部落を歩くと、畑仕事をしているおばあさんがいたので聞いてみる。愛宕神社の方に祭ってあるという。
再び、階段を登り愛宕神社を目指す。
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奥へ進み、階段を上がると左手にありました。
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祠という感じの天神様でした。
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こんな紋章がありました。星梅鉢にしておきます。
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tag:日豊本線

23天満宮(網代・津久見市)

2011.10.15 08:25|大分県津久見市(南部)
【祭神】菅原道真【末社】蛭子社(祭神 事代主命)
【由緒】創立未詳。天保6年(1835)の「天満大自在天満宮」の墨書板あり。もとは境内右下の海辺に鎮座していたが、昭和17年頃、山崩れで倒壊し、現在地に移転した。
【例祭日】9月24・25日
【神紋】梅鉢(屋根)
【行程】日見の天満宮を出て、国道217号を佐伯方面に進む。すぐに短いトンネルがありこれを抜けると網代地区に入る。目的の天神様は進行方向の右手の小高い所にある。
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山の縁を少し削って造営したような簡単な作りであるが、景色は良い。
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お祭りの後片付けがまだ終わっていないらしく、社殿の扉は開かれたままで、中には段ボールが置きっぱなしになっていた。額縁に収められた「天満大自在天神宮」が珍しい。
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紋章を探したが、はっきりそれとわかるものはこれしかなかった。
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tag:日豊本線