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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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49飛松天満社(南杵築・杵築)

2011.12.28 14:40|大分県杵築市
【祭神】菅原道真
【由緒】「元和年中(1615-24)当地の諸富氏が海難にあい伊予の天満社に祈った無事に帰れたので据場に社を建て分霊を祭った場所が狭いので延宝8年(1680)現地に移す歴代藩侯の崇敬厚く町方総町の氏神として奉仕した・・・」
【例祭日】7月25日【撫牛】二体【紋章】梅鉢(賽銭箱)
【鎮座地】大分県 杵築市 大字南杵築260番


【行程】杵築市は城下町で、散策のためのマップもよく整理されている。
市のホ-ムページから得られる散策マップの左上(西北)に天満社とある。

車を産業館の駐車場に置き、番所の坂、北台武家屋敷、勘定場の坂、志保屋の坂、一松邸そして南台武家屋敷を西に歩き、寺町のT字路を右に行く。突き当りのブロックが公園らしきものになっておりその先に社が見える。
49-130.jpg
鳥居の左右に撫牛が奉納されている。
49-125.jpg
49-126.jpg

49-123.jpg
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賽銭箱に神紋が見える。
49-132.jpg

境内の右手にクスノキとイチョウの大木がある。
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49-133.jpg
前の天神坂を下って振り返ると石垣がみごとであった。
49-135.jpg
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48北野神社(南蒲田・大田区)

2011.12.27 13:30|東京都大田・目黒区
【祭神】菅原道真・建御名方命〔たけみなかたのみこと〕
【由緒】「当社は寛文元年(1661)北鎌田村字宿南の杉原重右衛門が邸に諏訪神社(建御名方命)の奉斎を創建とす。嘉永二年三度にわたる呑川の洪水により、矢内村天神森に鎮座せる天神様三度共、杉原宅に流れ来り。村民十一戸は矢口村と交渉の上、諏訪社の隣に社を建て神体を安置し名称を井府天神とす。明治年中諏訪神社稲荷神社を合祀し、北野神社と総称す。その後呑川の改修工事により現在のごとく呑川の南側境内となる。昭和二十年四月十五日戦災により御社殿烏有に帰したため昭和四十五年五月御社殿を復興遷宮祭を執行す。昭和六十年五月吉日 宮司 上野嘉信」 
【例祭日】碑には4月17日とあるが5月第3土日らしい
【神紋】梅鉢(社殿)
【行程】鎌田駅を降り、夫婦橋の交差点を呑川沿いに下り、天神橋の袂にある。
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境内は比較的広く、社殿も立派である。
48-111.jpg
紋章は梅鉢である。
48-113.jpg


より大きな地図で 天満宮散策 を表示

tag:京急線

46天満天神社(子守神社内 幕張・千葉)

2011.12.20 09:48|千葉県千葉市花見川/稲毛
【祭神】菅原道真
【由来】大正15年の市誌に境内社として、天満天神社の記載がある。イチョウの大木などを見ながら散策していると、神社の関係者と思われる年配のご夫人が、出てきたのでちょっと話を聞いてみる。昔、本殿の改築話があったとき、神庫を整理していたら、天神様のご神体が出てきたそうである。そのため、これをお祭するために、社殿を設けたとのことであった。大正15年だったそうである。天神の性格から、子守神社の外にしたと考えられる。余談であるが、「幕張」は「馬加」に通ず。元々子守神社は馬加城の跡地(三代王神社の北西あたり)にあり、永正五年(1508)当地に越してきたらしい。天満宮の創立は遅くても文政十年、1827年である。
【神紋】梅鉢 献灯に梅鉢紋が使われている
【鎮座地】千葉市 花見川区幕張町二丁目990番地 子安神社境内


幕張の子守神社を目指す。
本通りから、車一台が通れるくらいの参道が真直ぐ伸びており、その先に社が見える。

鳥居をくぐると、右手に駐車場があり、恐らくイベントでもない限り、車で来ても大丈夫だろう。
天神社は子守神社の手前、右手にある。
46_071.jpg

子守神社に比べると、相当みすぼらしく見える。

隙間から内部をのぞくと、かすかに梅鉢の紋章が見て取れた。
46_073.jpg

30分ほどいたが、ぽつぽつと数人の参拝者が訪れていた。
住宅地の真ん中にあり、名前も子守なので、結構、信者がおおいのであろう。
ただ、天神社に参拝した人はいないように見えた。
【追記】江戸時代、本社の神主さんが日記を残している(219)。これを追って読んでゆくと、「文政十丁亥年八月廿五日晴天 天満宮背像一体造立彫刻師江戸馬喰丁三丁目野村源光作也料金弐分壱朱也筆子中寄進」とある。すでに筆子が天神講のような活動をしていたとも考えられるが一応この年に奉斎が開始されたと解釈できる。その後天満宮の記載はしばらくないが、「天保十四、十五年一月廿四日天神講也」の記録が見える。

tag:京成線

45飛地天満宮(国府台・市川市)

2011.12.07 10:23|千葉県市川市
【祭神】菅原道真
【由緒】国府台道明寺天満宮が正式名と思われる。昭和2年10月24日、菅公生長の霊地河内国道明寺天満宮の分霊を拝受、当地に創建鎮座す()。
【例祭日】10月25日
【神紋】梅鉢
【鎮座地】市川市国府台四丁目1番付近
【行程】JR市川の改札を北口に出る。
駅前にバス停がいくつかあるが、一番左端の松戸方面行きに乗る。本数は結構ある。
午後の乗車であったが、おおむね満席に近くなった。

駅前の道を左折し、国道に出て、しばらく走ったのち、右折し松戸方面に向かう。国府台天満宮への通りでもあるのでなじみの風景が多少ある。降車のバス停は「小学校」。降りたのは私一人であった。すぐわきに横断用の陸橋がある。市川方面へは渋滞している。車の通行量は相当多いようである。陸橋を渡り、帰りのバスの時間を確認する。本数が相当あるようで、あまり待たずに乗れそうである。

多少、車が少なくなったので、道路を横断して渡り、陸橋の先の道を右折し、住宅地の中に入る。
この先に左に行く道があり、その右手あたりに見えるはずがだが。

ありました。畑の向かいにそれらしき森。
45_067.jpg

社殿は台地の端に鎮座している感じで、向きも南向きのようで、国府台天満宮に似ている。
45_060.jpg
瓦に梅鉢の紋章が刻まれています。
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正式名称:国府台道明寺天満宮。
国府台緑地の中ほどにある神社。
祭神をめぐる争議によって氏神不在になったため、村人が河内(大阪府)の道明寺天満宮から分祀を受けたそうです。

より大きな地図で 天満宮散策 を表示

tag:京成線

アコギの大木

2011.12.03 21:14|アコギ
25天満神社(大分県佐伯市上浦の福泊)。
この木の後方にもう一本あります。
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66天神神社(赤崎・津久見)のアコギも見事である。
66-308.jpg

ケヤキの大木

2011.12.03 17:57|ケヤキ
国府台天満宮のケヤキ。保存樹木のタグが付いています。
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