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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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82北野神社(本木南・足立区)

2012.02.28 15:15|東京都足立区
【祭神】菅原道真
【由緒】不詳であるが、「新修足立区史」では「昔の豪族豊島清光が北野天満宮から分祀したもので、熊野権現と共に当地に奉斎した」とあるらしい(27)。「風土記」では、本社の裏手にあった善覚寺(廃寺)が別当であったようで山号を「菅原山」と称していたらしくで、深い関連が推察される。
【神紋】星梅鉢(垂木、倉庫)
【行程】最寄りの駅は舎人ライナーの扇橋である。
駅から歩いてゆくには30分以上、往復で1時間。相当迷ったが思い切って行くことにする。

この地域は、戦前そのままなのであろうか、狭く折れ曲がっている。
一応、突き当たって進む進路を選択する。

歩き始めて、突き当りを右、左でうまくゆけるはずであったが、すでにまちがっている。
結局、国道450の工事中の所に出てしまった。

また右手の住宅地に入り、南の方向かう。突き当りを左に向かい、右手に住宅工事現場を見、左手に吉祥院、右手に幼稚園。

ここで位置の確認が出来たので後は地図を見ながら進む。

ここの境内は広く、左手は公園になっている。子供の遊ぶ声、歓声が聞こえてくる。
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社殿も結構大きく、立派であった。
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神紋は、珍しく星梅鉢であった。
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ケヤキとイチョウの保存樹木がある。
82-063.jpg 
清光は鎌倉時代この地域に勢力のあった武将で、1177から1189年の消息は確認される。豊島一族は熊野神社の勧請で知られているようである。


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81上沼田北野神社(江北・足立区)

2012.02.28 14:57|東京都足立区
【祭神】菅原道真
【由緒】創建は文久年間(1861-64)と言い伝えられているが、文政5年(1822)に成立した「風土記」によれば本社の隣にある薬王院の境内にすでにあり「天神社」と称せられていたという。。明治32年に現在地に移転した(27)。「上沼田天神さま」とも称せられる。
【例祭日】9月25日
【神紋】梅鉢(幕、屋根)
【行程】舎人ライナーの江北を下車し、地図を見ながら進む。
地図を見ながらの進み方の要点は、突き当りのルートを探すことだ、と自分に言い聞かせながら、左折、左折、右折、左折を繰り返し、この先は突き当りとなる道に入る。

しばらく歩くと、左側にアパート群が見え、その先に広い公園がある。
公園のベンチでしばらく休憩。

空気は冷たいが天気がいいので、気持ちがいい。でも足には相当負荷がかかっている。

この先にセブンイレブンがあり、その先を左に入ると目的地と思いながら公園を立つ。

なんと!、この神社は空にあった。斬新である。
右手が上沼田会館、裏手が薬王院の角地にある。
81-050.jpg
神紋は梅鉢
81-051.jpg


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tag:舎人ライナー

80西新井天満宮(西新井・足立区)

2012.02.28 13:30|東京都足立区
【祭神】菅原道真
【由緒】正式名は北野神社のようである。「西新井天満宮」とも呼ばれる。文政期の頃は「谷田天神」とも称されていた。創建については、元和年間(1615~1624)に日照りで苦しんでいた村で用水を引こうとして溝を掘っていると、土中から道真公の像が発見され、この像を北野神社に祀り、雨乞いを行うと大雨が降り、田一面が水で満たされたという伝承が残されています。
 現在は、かつての西新井村のズシ「高道(たかみち)」の人びとによって維持・管理されています。
 平成十七年吉日
ズシは「途子・図子」?よこちょう。路地の意。
この近くの綾瀬天満宮のホームページに「その根郷地区も、東・南・西の3つのズシに分けられていま した」の記述がある。
【神紋】梅鉢(神殿、瓦)
【行程】79北野神社(鹿浜)にお参りし、その足で東に向かう。
お昼になったので、八幡神社先の天ぷら屋で昼食。天ぷら定食にする。
天ぷらは二回に分けて出てきて、アツアツ・カリカリで美味であった。

舎人ライナーのガードをくぐり、右手に西新井中学校を見、さらに数分歩くと、セブンイレブン。
その角を左に入る。突き当りのブロックを反時計回りに歩くと、三時のところにあった。
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境内はコンパクトにまとめられているといった感じである。
境内の紅梅が見ごろでした。
手水舎が洒落ていました。
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紋章は梅鉢。
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tag:舎人ライナー

79東北野神社(鹿浜・足立区)

2012.02.28 11:42|東京都足立区
【祭神】菅原道真・宇迦之御魂命
【由緒】東ズシの鎮守で「東天神」と呼ばれている。江北氷川神社の兼務社となっている。文化文政年間(1804-30)の創建と伝えられている。別に、寛政10年(1798)に鹿浜獅子舞を披露したことを記念して、翌年創建されたとも言われている。現在稲荷社を合祀している(27)。
【例祭日】10月25日
【行程】舎人ライナーの西新井大師西を下車。なんとも長い駅名である。
谷在家側の広い道路を西に向って進む。これを右、東へ行くと西新井天満宮になる。

地図を手に、江北六丁目、鹿浜四丁目を過ぎる。そろそろ地図にある店があってもよさそうだが、と思いながら進む。ところがまったくそれらしい名前が見えてこない。

これはどこか間違えてる。方向的には左折なので、左手先に公園らしきものが見えたので、取りあえず公園で一休みとも思い公園に向かう。

地図の左上に公園の一角がプリントされていたので、仮に地図の公園がここの公園、鹿浜北公園、とすれば、東側のブロックに学生社、どっかで聞いた名前だが、があるはずだが。何回か目を凝らして探す。

ありました。そうすると、現在地は、この地図の公園の北側で、目的地は東南側。やっとわかりました。
地図の北側から南側に、地図を見ながら進むのは意外と難しい。

それでも、ブロックの角地にありました。
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北野・稲荷両社とあります。
79-037.jpg


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tag:舎人ライナー

78菅原社(皿沼・足立区)

2012.02.28 10:30|東京都足立区
【祭神】菅原道真 と思われる
【由緒】前皿沼・東皿沼・西皿沼の各部落に天神があったと伝えられているので、本社はこのいずれかもしれない。
【神紋】梅鉢
【行程】舎人ライナーを谷在家(やざいけ)で下車する。
舎人公園の方に、左側の歩道を進む。

最近、寒い日を歩くと胸が苦しくなり、はぼ5分ごとに立ち止まって息を整えないと先へ進めない状況になる。今日もそんな日であった。日差しはあるのだが、空気が冷たい。

ちょっと先に皿沼3丁目の信号があるが、その手前を左折し住宅地の方へ進む。
実は、間違えてこの先の方まで行き、左側の舎人公園を大きく迂回してしまった。

地図を片手に先を進むが、それらしき風景がない。丁度、右手の方から年配の男性が向かってきたので聞いてみる。
「菅原神社?」。一瞬腑に落ちないような表情の後、
「この先の2軒目ですよ」。
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お礼を言って目的の前に立つ。そこで疑問が解けた。
神社と言うにはあまりにも程遠い。
というわけでここでは鳥居の社名を取って菅原社としました。
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社殿は大きな祠という感じです。
瓦の紋章が剣梅鉢と見えました。
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tag:舎人ライナー

77成子天神社(西新宿・新宿区)

2012.02.15 11:10|東京都文京・新宿区
【祭神】菅原道真
【由緒】創立は延喜3年(903年)。当時、菅原道真が死去し嘆き悲しんだ家臣が道真の像を大宰府から持ち帰り祀ったのが始まりであるという。その後鎌倉時代、源頼朝により社殿が造営された。創建時は現在地より北よりの旧柏木村(北新宿付近)に鎮座していたようです。江戸時代に柏木村より成子村が分村、あるいは火災により寛文元年(1661)現在地に遷座とのこと。
【神紋】梅鉢
【行程】地下鉄丸ノ内線の西新宿を下車し、出口1の案内に成子天神社がある。
表に出ると、目の前は高層ビルの林である。

右か左か、しばらく周囲を見回すと、道路の標識に荻窪・高円寺とある。
とりあえずそちらの方向、右に進む。
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数分でファミリーマートに着き、その手前を右に入る。
その先は白い塀で囲まれ、その中に工事用のクレーンが数台。
ひょっとして目的地は工事中でした。「成子天神社再整備プロジェクト(賃貸棟)」
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とりあえず周囲を時計回りに回ってみると、本通りに面した方に仮の社殿を祀っておりました。
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賽銭箱の紋章は、剣梅鉢でした。
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こちらが参道
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tag:丸ノ内線

76北野神社(天神町・新宿区)

2012.02.15 10:15|東京都文京・新宿区
【祭神】菅原道真
【由緒】大友宗麟の孫の義延は徳川秀忠に仕え天神町から榎町にかけて大友屋敷を賜って住んでいた。義延はこの屋敷内に大宰府の天満宮を勧請し、お祀りした。彼の死後大友家は断絶し、天満宮は尾張徳川家の外山屋敷から、真定院へ移され「高田天神」と呼ばれて崇敬されていた。江戸名所図会に「八幡宮より馬場の方へ行く道の左側にあり」と紹介されている。真定院が明治維新のとき廃寺となったので、高田天神は水稲荷神社の境内に移転した。大友家が断絶後その跡地を大橋隆慶が拝領して住み、隆慶も天満宮を崇敬していたので、将軍家から菅公の像をご神体としてお祀りした。これが当社に引き継がれている天満宮である。なお本社は赤城神社の管理下にあるようである。
【例祭日】5月25日
【神紋】梅鉢
【行程】東西線神楽坂に降り、黄色い案内板を見ると、天神町は2番の中にある。
(江戸の頃は「天神」の地名は多くあったようであるが、都内では、町村合併で今はここだけとか)

地上では、目の前は、たぶん早稲田通りと思われるが、右か左か?
手元の地図と、しばらく思考し、右手に下ってゆく。
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ちょっと坂が急になった所に交差点が。このあたりの坂を地蔵坂と言うらしい。
「江戸時代後期、小浜藩酒井家下屋敷(現在の矢来町)の脇から天神町へ下る坂を地蔵坂と呼んでいた(「砂子の斬月」)。坂名の由来はさだかではないが、おそらく近辺に地蔵尊があったものと思われる
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交差点を横断し、進路を北に変え、左側の歩道を数分歩く。
ビルの谷間に、左側に、いきなり鳥居が。北野神社とある。
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鳥居が本通りの歩道がわと社殿の前にもあり、その間が参道となっているのだろう。
中の鳥居をくぐると右手に手水鉢、その先に社殿がある。

賽銭箱には、剣梅鉢の神紋が見える。
硬貨を投げ入れ、合掌。
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中の鳥居の左手に、お稲荷さんが祀ってあり、供え物が置かれている。
その前に数人の老(若)男女。神主さんもやってきて、お祭りが始まったので、最後列で参加させてもらった。

尚、初詣先着1000名にお守りが頂けるとのこと。また、A5サイズのパンフレットを頂いた。


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tag:江戸二十五天神 東西線