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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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212安楽寺天満宮(上京区・京都市)

2012.09.14 11:00|京都市北・上京区
【祭神】菅原道真 と思われる
【由緒】道真の死後、供の人々は京に帰り、この地に道真をお祭りし安楽寺天満宮とした。後に北野天満宮七ヶ所の御供所となり、一ノ保社と呼ばれるようになった。明治に入り1873年に社殿とも北野天満宮に遷移されたが、その跡地に社殿が建立された。
【神紋】星梅鉢
【行程】211文子天満宮元社から天神通を北上する。この辺の家々には星梅鉢の紋章がちらほら見え、天満宮と所縁が深いことが伺える。歩くこと10分ほどであろうか、左手に鳥居が見え、大きなクスノキの下に小さな社殿が見えてきた。左折し正面にを見渡すと、ちょうど、このクスノキと右手の梅の木の選定作業中である。小さな境内であるが全てにバランスが取れていて気持ちがいい。


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211文子天満宮元社(上京区・京都市)

2012.09.14 10:30|京都市北・上京区
【祭神】菅原道真 と思われる
【由緒】北野天満宮に祭られている文子天満宮は明治六年に遷移されたとあるので、それまで鎮座していた西の京の文子天満宮と理解していいのだろうか。
【鎮座地】京都市上京区天神通上ノ下立売上る北町
【行程】コンピュータのトラブルで撮り貯めていた写真がすべてなくなってしまった。当分写真なしのブログになってしまう。バスのフリーパスを買ってあるので、四条前で乗り北野中学前で降りる。妙心寺通に入り東に向かう、しばらく歩いて左折して天神通りを北に向かうとすぐ左側に鳥居が見える。狭い境内をさらに狭くするように中央を神楽殿のような建物が占めている。なにか意味があるのだろう。その先に住宅風の建物があり小さな看板があった。たしか「文子天満宮元社」。
画像はこちらのサイトにありました。

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210天道天満宮(天道神社内 下京区・京都市)

2012.09.14 10:00|京都市下京・南・右京区
【祭神】菅原道真
【神紋】星梅鉢(石灯籠)
【鎮座地】京都市下京区仏光寺通猪熊西入ル
【行程】四条大宮の阪急ビルで遅い朝食を済ませ、店員に場所を確認して出かける。壬生寺近くを東西に走る仏光寺通と猪熊通の辻にあたるので比較的わかりやす。だんだん京都の町が理解出来始めてきた。写真は仏光通の西方面を、天道神社は右側にある。
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境内は狭く、工事中であった。ちょっと失礼して天神様にお参り。
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社殿の中に大きなオガタマがあり、実がなっている。オガタマは92文子天満宮でも見られた。
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209一夜天神(壬生神社内・中京区)

2012.09.14 08:45|京都市左京・中京・東山
【祭神】菅原道真
【由来】江戸時代前期、壬生寺の支院・寂静庵の開祖、託願上人の夢枕に道真公が立たれ、壬生の地に道真公を祀るように告命されたという。道真は流罪の途中、この辺で一夜を明かしたらしい。そこで上人は、神像を刻み御社を建立して「一夜天神」と名付けられた。御社前の石の鳥居には寛文十二年(1672)「託願建立」とある。現在の社殿は、嘉永5年(1852)の再建である。中央に一夜天神、向かって右に金毘羅大権現、左には壬生寺の鎮守である六所明神が祀られている。「
【紋章】星梅鉢
【鎮座地】京都市中京区壬生梛ノ宮町31
【行程】日本人にとって神と仏はなかなか切り離せないものらしい。寺院の中の天神は、たしかこれで二例目である(133綱敷天満宮)。壬生寺の門を入ると、
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すぐ右側にある。
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208文子天満宮(北野天満宮内 上京区・京都市)

2012.09.14 07:00|京都市北・上京区
【祭神】菅原道真
【由来】菅公の死後、徴あって、巫女多治比文子が菅公の御魂を自宅にお祭りした。これが北野天満宮の発祥である。天暦元年(974)天満宮は現在地に移された。文子の住居跡は神殿につくり改め文子天満宮と称えられてきたが、やがて西の京に移され、さらに明治六年この場所に遷座された。
【鎮座地】京都市上京区御前通り今小路上る馬喰町
【行程】文子天満宮はここにもあり(92文子天満宮)、どういう関係になるのか、若干疑念の念も湧いてくるが。北野天満宮の神殿の北側、北門に抜ける参道の右側に鎮座している。形の整った綺麗な社殿である。
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近づいてみると、文子(あやこ、と読むと思います)天満宮とある。
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1北野天満宮(京都市)

2012.09.14 06:45|京都市北・上京区
【祭神】菅原道真
【由緒】平安時代中頃の天暦元年(947)に、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、当所に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます(HPより)。
【例祭日】例大祭8月4日、終い天神12発25日【撫牛】12体
【鎮座地】〒602-8386 京都市上京区馬喰町
【神紋】星梅鉢
【行程】結果的に本社への参拝がその後の天満宮詣での出発点となった。大震災前の一月にお参りしたのだが、その時に写した写真が行方不明のため、改めての参拝となった。前回は円町駅からの歩きであったが今回は、京都駅前のバスターミナルで終日乗り放題の500円のカードを購入した。このカードの購入は正解であった。
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この天満宮の一の鳥居は高さと言い、形といい、ちょうどいい。
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この鳥居をくぐり左側に撫牛。
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その先の右側に二体目
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二の鳥居を過ぎると左側に三体目
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さらに屋根の下に四体目
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さらにやはり屋根の下に五体目。この牛の角は立派である。
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さらに六体目。楼門の右側。
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七体目。楼門の左、休憩所の左
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八体目は牛社の御神体
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九体目。三光門の手前
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10体目。九体目の真向かい。もと本殿の北西(乾)にあったので、「乾の牛さん」の名で親しまれていた。
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11体目。社務所の前の北門に抜ける参道。
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12体目。東門の手水舎。
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御神体や寝牛を合計すると12体の撫牛が鎮座している。
丁度人が切れたので社殿を一枚。
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池波正太郎の幕末遊撃隊(203)の主人公伊庭八郎の日記に、「小子(八郎)どもは八ツ頃、旅宿へ帰り候。その後、北野天満宮へ参詣・・・」とある。主人公は16才まで本の虫であった、と本人に言わせるほど学問好きであった。当然、菅原道真のことは知っていたであろう。物語は主人公が16歳の春、翻然として道場にあらわれ剣の道を志すところから始まる。
同「おれの足音」に「・・・北野天神へおまいりに御供・・・」とある。

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207大阪天満宮(北区・大阪市)

2012.09.13 18:20|大阪府大阪市北部
【祭神】菅原道真
【由緒】天満宮となる前からこの付近に大将軍社と言う社があり、九州に左遷のおり菅公は参詣なされた。菅公の没後約50年天暦3年(949年)のある夜、大将軍社の前に突然七本の松が生え、夜毎にその梢(こずえ)は、金色の霊光を放ったと言われる。この不思議な出来事を聞いた村上天皇は、これを菅公に縁の奇端として、同地に勅命を以て鎮座された。
【例祭日】7月24・25日【撫牛】4体(臥牛、青銅牛、天保の石牛、古石牛)【神紋】梅鉢(賽銭箱、鬼瓦、社殿)
【鎮座地】大阪市北区天神橋2-1-8


地下鉄南森町を下車し出口3で地上に。その先を右折すると鳥居が見えてきた。結果的に北の方から境内に入ることになった。
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ただ、本社の正門はこちららしい。寺院を思わせるが。
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建物はさすがに重厚感があり厳かな雰囲気が漂っている。
正門の左に大きな撫牛、と言うより臥牛。
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前から
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その斜め向かいにおそらく青銅製の撫牛。
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前から
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神殿の後ろの白米稲荷の左の祠の中に一体。祠に納められた臥牛はたしかこれで3例目。10深志神社91千喜満悦天満宮
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前から
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その先の稲荷様の後ろに一体
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夜七時を過ぎると門を閉ざすらしく、空いていたのは南西側の蛭子門であった。

池波正太郎の「その男」(文春文庫)に次ぎのような記述がある。
『天満天神は、かの菅原道真をまつり、毎年夏の[天満祭]は、大坂神事の随一と称され、神輿を乗せた諸舟がいっせいに大川へくりだし、松島へ渡御する景観のすばらしさは、「神田祭どころのさわぎじゃありませんよ」いつか、山田もいっていたものだ。
鳥居筋の通りから宏大な境内へ入ると、正面が本社で、境内は土堀と石垣によってかこまれ、石垣の上には梅、松、桜などが植えこまれ、その桜がいまや満開であった。』。文久三年(1863年)五月と思われる描写である。

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206三先天満宮(港区・大阪市)

2012.09.13 17:00|大阪府大阪市湾岸
【祭神】菅原道真・底筒男命・中筒男命・表筒男命・宇迦之御魂神
【由緒】天保初年以来幾多の困難の後、現在の港南公園内の付近の開発がなされ、開発された土地は「池田新田」と称されるようになった。この成功を持って神域を整え、天保六年、大神様を産土神(この神がどなたなのかははっきりしない)とされました。戦後、現在地に遷宮御造営(移築・改修工事)がなされた。
【撫牛】一体(鳥居の左、撫牛とは呼べないかもしれないが)
【神紋】梅鉢(神灯、瓦)【例祭日】夏祭7月24・25日
【鎮座地】大阪市港区三先1丁目5-40
【行程】大阪環状線弁天町から地下鉄中央線の弁天町に乗り換え、朝潮橋で下車する。みなと通りと呼ばれる広い道路に出て三先一丁目の交差点を目指す。途中、このような珍しいトックリラン?を見つけた。
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ぼちぼちその交差点と思いながら、道を尋ねると、この先ですという。しばらく歩くと右手にそれらしき景色がありました。三先一丁目の交差点です。
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歩道のすぐそばに鳥居があります。
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鳥居の先の左に寝牛が祀られています。たしか、自然石に近い寝牛は7牛天神北野神社以来である。
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前から。
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205菅原神社(御幸森天神宮内・大阪市)

2012.09.13 15:40|大阪府大阪市東部
【祭神】菅原道真
【由緒】明治18(1885)年に建立されました。菅原道真を祀っています。猪飼野小路(本社より東南に500m程 勝山北五丁目)に祀られていた社を合祀したのが始まりとされています(一部HPより)。
【例祭日】10月15日【神紋】梅鉢(神灯)
【鎮座地】大阪市 生野区桃谷3-10-5 御幸森天神宮境内
【行程】大阪環状線桃谷の改札を出ると、アーケード街になっている。今日も暑い日であったので、これは助かる。体感温度で二・三度下がっているような気がする。日差しを避けてくれるのもありがたい。ところで、大阪のおばちゃんは、例の自転車の傘タテを今度は日除けに使っているようだ。
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アーケード街を抜け、広い通りを北上すると右手に鳥居が見えてきた。すでに前に参拝らしいカップルるが歩いており、境内にもポツポツ人がいる。
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目指す天神様は大きな社殿の後ろの小さな祠であった。お間違いないように!。
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tag:大阪環状線

204王ノ瀬天満社(王ノ瀬・大分市)

2012.09.13 09:10|大分県大分市坂ノ市地区
【祭神】菅原道真・外三柱
【由緒】明治六年村社となる。明治九年村内の三社を合祀。碑文には「創建不詳 明治三十三年昭和六年改築 平成二年区画整理事業により一期工事として神殿 拝殿 祭器庫を新築 平成七年二期工事として土地改良 擁壁 鳥居 造園整備を行なう 総事業費五千二百七十七万円で建設費は補償費を充当した」
【鎮座地】大分市王ノ瀬一丁目12(旧北海部郡里村王の瀬)
【行程】大分市の東部、大野川下流の右岸、大在の愛媛街道の周辺とその海側の天神様をお参りして、この社が7社目となる。旧街道にそって丘陵の上にある、104角子原107城原天神社と、海側、丘陵の下にある179北天神社106浜天神社105横塚天満神社21政所天神社と本神社である。後者はいずれも、区画整理事業により新しい境内に建っている。本社も同様である。
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境内は広く、ゆったりしている。大きなクスノキが心地よい日陰を作ってくれている。
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tag:日豊本線