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牛飼はじめ

Author:牛飼はじめ
浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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佐土原基右衛門親善(1801-1840)

2016.02.24 20:11|所縁の人々
享和元年(1801年)出生。文政九年(1826年)父の死去後、二十六歳で黍野組の庄屋となった。文政、天保年間は天候不順による凶作が続き、村民は飢餓に苦しみ、人心不安の世情に加えて天保の改革による野津郷内の村の組替えがあり、これに反対した農民の年貢不納の動きがあった。藩命により庄屋は協議して村民を諭したが、解決できなかった。基右衛門は人となり剛直。村民の言も理無きに非ずと考えその旨を代官に進言した。代官は大いに怒り村民扇動の首謀と邪推される。基右衛門は真実の弁明に努めたが疑念を解くことが出来ずついに村民のためという一義に徹し、身の潔白を明かそうと自決した。時に天保十一年(1840年)四十歳であった。「思いきや心のたても果たさずて死するうらみぞいつかはれなむ」という辞世にその心情が偲ばれるが、死後十年目の嘉永三年、板屋原稲荷社を勧請。基右衛門の霊を祀る社として、大将軍神社と呼び崇敬を集めている(境内の案内より)
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1206大島神社(大島町・宮崎市)

2016.02.24 14:40|宮崎県宮崎地区
【祭神】天津彦火瓊々杵尊・菅原道真公
【由緒】天文五年(1536年)八月三十日再興の棟札、その後文禄四年(1561年)天神再興の棟札があることからこの当時から天神を祭っていたもののようだ。慶長十二年(1607年)、寛永十五年(1638年)、元禄四年(1691年)の棟札が残されているという。
【鎮座地】宮崎市 大島町本村200
【拝路】南花が島のバス停下車。ゆっくり歩いて10分ほど
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神額
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元々天神社(天満宮)で現社号は改称されたものかもしれない
社殿横から
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1205諏訪神社(芳土・宮崎市)

2016.02.24 14:09|宮崎県宮崎地区
【祭神】建御名方之命(たけみなかたのみこと)【摂社】磐永姫命・菅原大神
【鎮座地】宮崎市 大字芳士(ほうじ)1159-2
【拝路】蓮ヶ池バス停下車。数分で鳥居前
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階段を30段ほど登って境内へ
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横から
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絵馬は道真公のようだ
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豊後梅鉢の紋章が見える

1204瀬頭神社(永楽町・宮崎市)

2016.02.24 12:08|宮崎県宮崎地区
【祭神】伊弉諸尊・保食命・彦火々出見命・天壓命・素戔嗚尊・道真命・盤長姫命・大年命
【由緒】平安時代、鳥羽天皇の御代永久年間(1113-1117)の創建である。
【鎮座地】宮崎市 永楽町85番
【拝路】境内のモチノキの姿が印象深い
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正面から
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横から
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1203宮崎天満宮(谷川町・宮崎市)

2016.02.24 11:26|宮崎県宮崎地区
【祭神】菅原道真公
【由緒】建久年中(1190-1198)の創建。太宰府天満宮の御分霊を奉斎。
【鎮座地】宮崎市 谷川町二丁目132番
【拝路】宮交シティから徒歩。10分ちょっとで神社前
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社額の山吹色がまぶしいと言うか、透き通っているようだ
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境内。その先に石段
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小さな神橋を渡って社殿下
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向背前
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横から
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相当窮屈な境内である
絵馬。幼少期の道真公か
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鬼瓦の紋章
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豊後梅鉢紋のようだ。

1202磯天神菅原神社(鹿児島市)

2016.02.23 16:59|鹿児島県
【祭神】菅原道真朝臣
【由緒】貞享三年(1686年)、島津光久公(1616-1695)の思召により、綱座天神の御神体が作られ、同年丙寅八月二十五日、御勧請の祭礼を行った。綱場の天神とは筑前国博多に在り、醍醐天皇の延喜元年、道真公が藤原時平の讒により大宰権帥に赴かれた時、此所に休息なされた。御座がなかったので、船の綱をわに敷いて、其上に暫く休まれた。此時一夜の内に白髪に成られた云う(鹿児島県神社庁より)。綱場の天神とは71綱敷天満宮のことであろうか。
【鎮座地】鹿児島市 吉野町磯9678
【拝路】堅馬場入口でバスを下車。ちょっと距離はあるが歩いてゆくことにした。町中から後半は右手に桜島を見ながら約30ほど。左手に鳥居が見えてきた
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踊り場に手水舎
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右に石段を登って社殿前
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横から
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紋章をモチーフにした石灯籠
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神紋が数か所あるがこの豊後梅鉢紋である。
左手隅に撫牛
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前から
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絵馬
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イケメンの道真公である
帰りは異人館
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脇のバス停から

1201川上天満宮(川上町・鹿児島市)

2016.02.23 15:43|鹿児島県
【祭神】菅原道真公・北御方吉祥女
【由緒】創建年代は不詳であるが、約六百年前島津五代貞久公(1269-1363)が、京都北野天神の分霊を薩摩国川上村に勧請し、崇敬の念深く、爾来歴代の当主も尊崇した。特に十八代中納言家久公は尊敬の念極めて篤く、日参参籠されたこともあり、殊に年頭には、三社詣として、一之宮大明神、二之宮宇治瀬、三之宮川上天満宮を参拝し、代々の崇敬最も厚かった。(鹿児島県神社庁より)
【鎮座地】鹿児島市 川上町834
【拝路】天文館のバス停よりバスで川上郷へ。緑ケ岡団地入口下車。数分で神社前
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社殿前
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横から
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紋章
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ベースは梅花紋であろう
社殿前から
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1200千石天神社(鹿児島市)

2016.02.23 14:51|鹿児島県
【祭神】菅原道真
【由緒】「天神馬場通りの名称の起源であり島津藩政時代からこの通りにあって正徳三年(1713年)四月の鹿城の大火により焼失した萩原天神を昭和十三年(1938年)四月現在地に復興。神霊は京都北野天満宮より分霊。」(境内の案内の抜粋)
【鎮座地】鹿児島市 東千石町8-28
【拝路】鹿児島と云えば天文館で、半世紀以上も前の一時期、この地に在宅していた記憶があるが、詳細はすでに忘却の彼方である。町を走る市電がもの珍しく、人通りも多い。私用を終わらせ、街を散策していたら本社を見つけた。最初は稲荷社かと思ったが近寄ってみると天神社とある。
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横から
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手水に梅鉢紋のレリーフ
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さい銭箱にも梅鉢紋が見られた

1199小島神社(小島・屋久島)

2016.02.22 16:36|鹿児島県
【祭神】大山祇命・菅原道眞公
【由緒】往古より現在迄鎮座地を神山と通称する。応仁の末頃一時社殿荒廃し、いつしか縁起・記録を失った。御祭神二柱の他に配し祀る神々ありというが、神名は不詳である(鹿児島県神社庁より)。
【鎮座地】鹿児島県 熊毛郡 屋久島町小島字小島395
【拝路】小島は島の南の集落。神社はその東側の入り口に鎮座。県道脇にある
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弔事の来島なので境内に入ることは控えた。

1198屋久島大社(楠川・屋久島)

2016.02.22 08:11|鹿児島県
【祭神】伊邪那岐命・伊邪那美命・天照皇大神・天満大神
【由緒】「当大社は石塚岳頂に二柱の巨石を磐座として岐美二尊を御奉祀いたしております。この男女二神は記紀神話に現れ万物生成の神として霊妙なるお力が尊崇されてまいりました。国生みの御祖神のご神徳を仰ぎ奉らんとこの楠川の地に社殿を造営し昭和五十二年八月十八日に創祀されました」(頂いた案内誌より)
【鎮座地】鹿児島県 熊毛郡 屋久島町楠川591-1
【拝路】島を案内してくれた親戚の者がここに道真公が祀られているようだ、と教えてくれた。弔事で来島したので、宮之浦の宿から、朝早く一人で参拝に向かう。県道脇に薬の看板、恵命我神散、とある
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聞いたことないなぁ、などと思いながら通り過ぎたのだが、帰りには全く見方が変わってしまった。
鳥居前。
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弔事の来島なので、鳥居をくぐらずに坂を登る
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社務所の人に、道真公は何処に祀られているかを聞くと、社殿の左手に祀られていると言う。
左から
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紋章
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この形は剣梅鉢紋に近い
芯の「恵」について社務所の御婦人に聞くと。思ってもみない話であった。
この神社は恵命堂の創始者である柴昌範によって創立された。柴は信心深く、天満宮を崇敬していた。神の啓示を受け恵命我神散を商品化した。昭和初期の頃である。紆余曲折があったようだが、現在まで続いている。神社のすぐ隣に工場がある。
資料はありませんかと聞くと、書籍「屋久島聖 柴昌範」を頂いた。
八月には太宰府天満宮から神官を招いて例祭を行うとのことであった。