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浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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294子安天満宮(北大塚・豊島区)

2013.03.09 14:50|東京都豊島・板橋区
【祭神】菅原道真
【例祭日】5月25日
【由緒】天文年間(1533~1555)の鎮守。室町時代天文年間に巣鴨保坂氏の祖先、仁平(にだいら)三河守盛義(新編武蔵風土記???の項参照)が三河の国から(一説には京都から)この巣鴨の地に来て、当神社の西方低地谷端川のほとりに陣屋と称する家屋敷を構え、巣鴨村??の住人となって(駒込圓勝寺の墓石参照)土地の開墾に勤め、同時に屋敷の東西南北の小高い場所に神々を祭って屋敷神とした。北は氷川神社(北大塚一丁目38番八号の辺り)、南は熊野神社(南大塚三丁目39番五号の辺り、現在は天祖神社社内に移る)、西は稲荷神社(北大塚一丁目???の辺り、又は同二丁目33番の辺り)、そして東に勧請したものが菅原道真公を祭るこの神社であり、最も広く、明治時代は坂の下の道迄??坪の境内地を擁した。盛義は元亀二年(1572)に没し、????やめて姓を保坂と改め、代々徳右衛門と名乗るようになり、やがて江戸に徳川幕府がおかれ、中仙道の往来がしげくなるにつれ、陣屋をすてて中仙道筋に移り、永く増上寺領巣鴨村の名主を勤めた。保坂氏の子孫は絶えることなく、当神社の奉仕を続けて今日に至っている。尚この辺一帯の土地を天神山と唱えるのは、この御宮に来するものであり、社号に子安の二文字を冠するのは子育ての意味である。当神社は江戸時代の江戸惣鹿子名所大全、須原屋版分間大絵図等にも登場され、江戸名所図会の巣鴨真性寺の遠景にも描かれている。平成16年五月 菅原神社
(注)?は原本が不明なのでなく、デジカメの写真が逆光でよく見えないため。
294_IMG_0001.jpg
江戸名所図会の巣鴨真性寺(本社の500m北東)の背景に天神山の本社が描かれている。
【鎮座地】東京都 豊島区 北大塚一丁目7番3号
【行程】暖かい空気に誘われて、梅の花も満開では、と思い寄ってみました。いつもの裏からのお参りになりました。
294_CIMG0057.jpg
正面から。
294_CIMG0060.jpg
満開の梅の花でした。
294_CIMG0063.jpg


より大きな地図で 天満宮散策 を表示
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