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浦々の天神様に大震災からの復興と家畜の安寧を祈っています。

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768安井神社(逢坂・天王寺区)

2015.01.29 11:20|大阪府大阪市中央
【祭神】少彦名神・菅原道真公
【由緒】「少彦名神を奉祀したのは、古文書が散逸したので、現在は詳かではないが非常に古い時代の事であると伝えられている。この神は、医療禁厭(医術・漢方・まじない)知恵の祖神として、その霊験はまことにあらたかな神である。菅原道真公の奉祀は、公筑紫へ左遷される途中海上浪荒く暫くこの地に立ち寄って憩われた旧跡である所以を畏み、後四十年を経た天慶五年(942)此地にその御神霊をお祀りしたと伝えられている。菅公の御進徳は誠の権化であり、又学問文化の神として、人々を守護し導き給うのである。当神社の御進徳を厚く蒙った人々は昔から多く、中にも大丸の業祖下村彦左衛門氏は大きな御加護を頂いて繁栄されたことは有名である」(境内の案内より)
【鎮座地】大阪府大阪市天王寺区逢阪1-3-24


新今宮下車。しばらく歩いて、ビリケンさんの通り。
768CIMG4439.jpg
新世界の界隈のようだ。たこ焼きを頂いて
768CIMG4440.jpg
周辺を歩いて行ったので、通天閣に気づかなかった。
右手、動物園、高速の高架下を通って、鳥居前へ。
768CIMG4442.jpg
二の鳥居
768CIMG4444.jpg
階段を上って境内へ。
撫牛が一体
768CIMG4445.jpg
前から
768CIMG4446.jpg
真田幸村像と社殿。
768CIMG4447.jpg
真田幸村は当社の近くで戦死したと言われている。

「徳川家康を仕とめ得なかった真田左衛門佐幸村は、毛利勝永と同様に、
(この上は、大阪城内へ入り、秀頼公と共に果てよう)
こころを決め、安居天神西側の崖下まで引き上げて来た。
左衛門佐幸村はただ一騎であった。
幸村も、愛馬の月影も身に数創を背負っている。
・・・・略
幸村は月影の遺体へ合掌し、槍を杖にして立ちあがった。
そして・・・・・・。
田圃道からつづいている崖道をのぼり、安居天神の境内に入って行った。
深い木立と竹藪に囲まれた、安居天神の細長い境内には戦士の死体も見当たらなかった。
幸村は、小さな社殿の前にぬかずき、抱角の兜をぬぎ、両手を合わせて頭をたれた。
安居天神の境内で自決することにしたのだ。
・・・・略
・・・・幸村の躰が、ゆっくりと仰向けに夏草の中へ倒れた。
息絶えたのである。
左衛門佐幸村の、四十九年の生涯は、ここに終熄した。」

池波正太郎 真田太平記十五落城 昭和五十八年 より
皮肉なことに、このすぐ南の一心寺は、大坂冬の陣の徳川家康の本営であったという。
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